新しい仕事の環境にも少しずつ慣れてきました。
GWに入りましたが、今回はどこにも行けそうになく…
(本当ならここで「さぁ、どこか行ってくるかぁ~」となるんですけどね…涙)
あー、旅に行きたいなぁ~。
そうです!そんなときは昔訪ねた旅の思い出に浸るのが一番♪♪
ということで、久しぶりに旅の思い出をご紹介したいと思います。
今回も以前、大阪で仕事をしていたときのお話です。
(5年前です…遠くなってまいりましたなァーー)
場所は中国地方。島根県の温泉津(ゆのつ、と呼びます)温泉に立ち寄り、
その後、今は無き三江線に乗って、終着駅の三次で宿泊。
翌日は戦国時代に中国地方をほぼ掌中に収めた毛利元就公の本拠地、吉田郡山城跡を
訪ねて…そんな思い出を当時作成した資料も交えてご紹介したいと思います。
お茶受け代わりにご覧いただけましたら幸いです。
・・・ここから・・・
一日目:大阪⇒岡山⇒出雲市⇒温泉津⇒江津⇒三次
以前より、温泉津…という言葉の響きには惹かれていました。
(一度行ってみたいなぁ~と思っていました…)
地図で見ると、いやぁ…なかなか遠いかも…。
でも時刻表で調べると、新大阪より朝一番の新幹線に乗って、岡山で乗り換えて、
出雲市まで特急で行けば…何とか回れそうだ…。
「じゃあ、行きますか!!」
気が付いたら、新幹線で西へと向かっておりました…ワタクシ、相変わらずです…😊
温泉津温泉はJR山陰本線「温泉津」駅よりバスで7分ほどのところにあります。
駅から歩いても20分ほど。
温泉津湾沿いの道を抜けると、温泉街が見えてきます。
こちらの写真は日帰り温泉施設「薬師湯」さんの三階バルコニーからの眺めです。
(コーヒーを飲みながら、のんびりすることができます~♪)
山合いに細長く続く土地…道の両脇にずらぁ~と趣のある建物が並んでいます。
温泉津と言えば、薬師湯!と言われるぐらい有名な温泉です。
旅館で有名どころもいっぱいありますが、今回は日帰り入浴でしたので、
薬師湯さんでのんびりさせてもらうことにしました。
(前々から、温泉津温泉に行くなら、薬師湯さんに…と決めていました😊)
温泉はもちろん100%源泉かけ流し!
口に含むと濃厚な金属臭を感じます(ちょっとヒリヒリします~)。
源泉の温度は46度…いやぁ~身体が温まること、温まること♪
湯舟に浸かると、じわぁ…と身体に成分が染みこんでくるのがわかります。
思わず「ほわぁぁーー」という気持ちになりました。
「これぞ本物の温泉なのだなぁ~~」
さすが日本温泉協会より全項目において最高の「5評価」を受けた温泉でもあります。
建物は大正時代に建てられたそうです。
まさに「大正ロマン」を感じる造りで、思わずあちこちで写真をパシャパシャと
撮ってしまいました♪♪ (ステンドグラスもきれいでした!)
薬師湯さんの営業時間は9時から21時まで(土日祝は8時から)。
入浴料は500円です。
近くの宿にお泊りの方も訪ねてこられるとか…。
番台の方もお優しくて、丁寧にご案内していただきました。
心身共に温まる…素敵な温泉さんでした。ありがとうございました!!
薬師湯さんのHPはこちらのアドレスからどうぞ♪
(HPはリニューアルされたような気がします)。
お風呂に入って、3階のバルコニーでコーヒーを飲みながら涼んだ後、
温泉津温泉の街並みを眺めながら、駅へと向かうことにしました。
温泉津温泉のメインストリートです。
細い道の両脇に昔から残る屋敷が並んでいます。
こちらは内藤屋敷さん。かつての庄屋さんの屋敷です。
温泉津温泉の歴史は古く、1300年前から温泉が湧いていたそうです。
その後、温泉津は石見銀山で採れた銀の輸出港として、戦国時代から江戸時代にかけて
大いに栄えたと言われています。
(メインストリートに並ぶ建物を見ると、当時の面影が残っているように感じました)
今は静かな温泉街となりましたが、往時は多くの人で賑わっていたのでしょうね…。
電車の時刻まで少し時間がありましたので、温泉津湾のほとりでぼぉ~としていました
チャプン、チャプン…と波がゆらゆら…♪
入り江ですので、静かでしたね…(あー気持ちいい!)
やがて時間がやってきました…名残惜しいですが、行きますか!
しばらく歩いて温泉津駅に到着。
ホームはひとつ…可愛らしい駅でした。
身体もポカポカ…心もポカポカ…のんびりさせてもらいました(素敵な温泉でした)
その日のお宿は広島県の三次(みよし)の街と決めていました。
温泉津からは江津駅を経て、今はなき三江線で三次まで向かいました。
時速40㎞ほどのスピードでゴトゴトと進む1両の気動車…。
江津駅から江の川に沿って、広島県の三次までの約108キロを4時間ほどかけて
のんびりと走る路線です。
(江津と三次の頭文字を取って、”三江”線という名前になったのだとか…)
昭和の頃は急行列車が走っていたときもあったそうですが、訪ねた時は一日3~4本
ほどの運行本数…そんな状況でした。
沿線にお住まいの方々も高齢化して、また移動手段が車中心となると、
ローカル線を維持するのも大変なのでしょう。
三江線は惜しまれつつも、平成30年4月1日に廃止となりました。
長年乗ってみたい路線でしたので、ギリギリ間に合って良かったなぁ…
そんな思いで乗車しておりました。
(気動車の写真や途中の駅の写真も撮っていたのですが、データがどこかへ行って
しまって…あぁすみません!!)
代わりに往時を偲ぶ、沿線の川本町さんのHPをどうぞ♪♪
(ラストランの日を綴った動画が配信されています…)
日も暮れる頃、三次駅に到着しました。
本日のお宿「ホテルアルファーワン三次」さんへ向かいます。
こちらのお宿にした理由は駅から近いこともありますが、
1階のある居酒屋「お食事処すぎの」さんでワニを食べること!も理由のひとつでした
ワニ…とはあの爬虫類の鰐ではなく、サメのことです。漢字で書くと「和邇」ですね♪
いろんな食べ方があるそうですが、やはりワニの刺身が絶品です。
しょうがと一緒に食べることが多いですが、臭みもなく、トロットロの食感!
思わずお代わりをしてしまいました…。
(深海魚に近い濃厚さがありました…)
今ではワニ料理をPRしているお店も多く、最近はワニバーガーなる商品もあるとか!
お酒とワニの刺身、ワニの何とか定食(名前忘れた…)を注文して、写真も撮っていた
のですが、こちらもデータがどこかへ~(旅に出てしまったわぁ…♪)
お詫びも兼ねまして…広島県さんの観光サイトにてお写真をどうぞ~😊
(きれいなピンク色のお刺身さんでした)
山間部に位置する三次では、以前は生魚が手に入りにくかったので、
山陰地方から運ばれるサメの肉は重宝されたそうです。
(サメ肉にはアンモニアが含まれているので、鮮度が持つのでしょう…)
今では郷土料理として、知る人ぞ知る名物となっています。
お近くに寄られる機会がございましたら、いかがでしょうか。
ホント美味しいですよ…♪
二日目:三次⇒安芸高田(吉田郡山城跡)⇒可部(太田川)⇒広島⇒大阪
朝、少し早めに起きて、江の川沿いを散策しました。
昨晩は偶然なのですが、花火大会がありまして、多くの人が見物していました。
(花火がきれいでしたね…)
その余韻がどこかしら…残っているような気がしました。
そんなことを考えていましたら、ゴトンゴトン…と音が。
振り返ると、三江線の1両編成の気動車が橋を渡って、江津へと向かっていきました。
さぁ、朝ごはんの時間ですね。
ホテルに戻って、いただくとしましょう(朝食バイキングでした♪♪)。
三次からはバスで吉田町まで行く予定でしたが、ホテル前のバス停で待っていたものの
いつまで経ってもバスがやって来ない…。
おかしいなぁ?と思って、バス時刻を見たら、あ!休日はバスは走ってない!!
おおっーー。
事前に調べていたのは平日のバス時刻だったようで…
(またやってしまった!ふらっと出かけたからでしょうねぇ…フフフ)
慌てて、三次駅へ向かうと、ちょうど芸備線の電車が出る直前でした。
あ、危ない…次は1時間後じゃて…ふぅ😊
車掌さんに聞いたら、「最寄りの吉田口駅にはバスもタクシーもおらず、
歩いていくと相当の距離がある。甲立駅ならタクシーがいるかも…」
とのことでしたので、甲立駅で降りることにしました。
毛利元就…歴史好きなら誰もがご存じのお方…。
中国地方の山間地の一土豪から、中国・九州地方まで一代で勢力を広げた…
梟雄とも呼べる人物です。
元就は次男坊だったんですよね。本来は家を継ぐ人ではありませんでした。
しかしながら、本家の跡継ぎが若くして病死し(所説色々あります…)、
子供もいなかったことから、元就が本家を継ぐこととなりました
本家を継いだ後、元就は近隣の宍戸家に娘を送り出したり、吉川家や小早川家の後継者
問題に介入して息子を跡継ぎとして送り込んだり(後の吉川元春、小早川隆景です…)
あの手この手で毛利家の勢力を広げていきました。
西の大内家、北の尼子家と大きな勢力に挟まれて、相当苦労したことでしょう。
その苦労が実り、やがて大内家を細ぼした陶晴賢との厳島の戦いに勝利、
その後ついに尼子家も滅ぼし、中国地方をほぼ統一しました。
1997年には大河ドラマ「毛利元就」も放映されていましたね。
(当時、富田靖子さんのファンだったので、楽しく拝見していました…)
ではここでクイズです!
毛利元就のご先祖さんは誰でしょうか?
はい、ヒントは鎌倉時代です♪(あ、ご存じの方も多いかも…すみません😊)
答えはこの後に♪♪
甲立駅からタクシーに乗って、運転手さんと楽しく会話をしていたら、
あっという間に吉田郡山城跡に到着しました。
吉田郡山城はその名の通り、標高400mの郡山に築かれた城です。
元々は郡山の東南部だけでしたが(上の図で「旧本城」と書かれた場所です)、
元就が少しずつ城郭を広げ、最後は山全体を要塞化した…そんな城跡です。
ちょっとしたハイキング気分で登れる城跡ですよ。
さっそく山へと登りましょう!
っと、その前に…はい、先ほどのクイズの答えでーす!
毛利元就のご先祖さんは、鎌倉幕府の政所別当として源頼朝を支えた大江広元です。
広元の四男、毛利季光が神奈川県(現在の厚木市)にある毛利荘を領していました。
(毛利という土地を治めていたので、土地の名を取り、苗字を毛利としたそうな…)
その子孫さんが所領である安芸国吉田荘にやってきた…というわけです。
今でも厚木市には「毛利台団地」という地名が残っています。
ワタクシ、個人的に毛利元就が大好きなんです。
ゲーム「信長の野望」でも毛利元就でよく天下統一していました…爆。
吉田郡山城跡は、いつか訪ねてみたい!と思っていたお城でした。
(今回来れて嬉しい!大感激であります😊😊)
朝の登城は気持ちいいですね。
空気も澄んでいて、ちょっとした森林浴です。
ご近所の方でしょうか、朝の散歩をされている方が多かったです。
「こんにちは」「こんにちはー」みなさん挨拶してくれました(いいですね♪)。
のんびり歩いて20分ほどでしょうか…本丸までやってきました。
本丸はそれほど広くはなかったですが、きれいに整備されていました。
(吉田郡山城は国の史跡にも指定されています)
尼子晴久が3万の兵で攻めてきたときは、麓の農民たちと一緒に8千人がこの城に
籠城したのですよね…(水も含めて、大変だっただろうなぁ~~)
眼下には吉田の街並みが広がっていました(いい眺めでした…)。
普段は山の麓で暮らしていたのでしょうけれど、元就公も同じ風景を眺めていた…
と思うと感慨深いものを感じました。
毛利家が大勢力となっても、元就は居城を移すことはありませんでした。
毛利家が広島へと移るのは、次代の輝元のとき。
元就はこの吉田の地を始終愛していたのかもしれませんね…。
麓に降りて、清(すが)神社さんに寄りました。
吉田郡山の鎮守神として、毛利家の手厚い保護を受けてきた神社さんです。
境内には元就の継母であった杉大方(大河ドラマでは松坂慶子さんが演じていて
評判を呼びました)を弔うお社さんがあったりします。
立派な杉の木を眺めていたら、風がさぁーーと駆け抜けていきました。
静かにお参りさせていただきました…(気持ちのよい神社さんでした)。
長年訪ねたかった吉田郡山城跡。ゆっくりと拝見することができました。
ありがとうございました!!
最後に毛利元就公の言葉をひとつ。
「天下の治乱盛衰に心を用うる者は、現世に真の友一人もあるべからず」
ワタクシが好きな言葉です。
孤独を愛し、孤独の中を生きた男、毛利元就…
これだけ複雑な人生、歩みを送っていれば、心の内を相談できるのは
自分自身だけだったのかもしれません…。
(城跡の地図もあります。よろしければご覧ください♪)
さぁ、そろそろおうちへ向かいましょうか。
吉田からはバスで可部へと向かいます。
バスの後部座席に座って、遠く吉田の街並みを眺めながら、城を後にしました。
お天気にも恵まれて良かったなぁ~感謝であります♪♪
バスは可部駅前に到着。
駅前の案内看板を見ると、近くに太田川が流れていることを知りました。
これはもう、川べりでほげほげタイムでしょう~♪♪
ということで、歩いて数分で太田川の土手に到着です。
きれいな川でした。せせらぎや遠くの山々を眺めて、ぼぉ~とすることしきり。
今回の旅を振り返っていました…(楽しい旅だったな…)。
自然や人との出会いって、素晴らしいですね。
(だから旅はやめられません…😊)
そう言えば、可部線はJRには珍しく、一旦廃止になった区間が復活した路線です。
2003年に可部から先の路線が廃止になったのですが、2017年に可部から
2駅先のあき亀山まで再び開業しました(ちょっと話題になっていました)。
おまけの小話でした~♪♪
可部駅からは広島経由で大阪に帰りました。
(広島駅では名物赤うどんをいただき…ごちそうさまでした)
あっという間の1泊2日の旅ではありましたが、今回も記憶に残る素敵な旅と
なりました。
お世話になりましたみなさま…本当にありがとうございました!!
・・・ここまで・・・
今年もこのまま夏までバタバタが続きそうですね。
夏は遠いところへ旅に行けるのかしら…かなり怪しい??
オリンピックもズルズルと、話がノビノビになっていますし、どうなることやら。
旅の思い出に浸りたーい!と思うときが再びやって来そうですね😊
また機会がありましたら、旅の思い出をご紹介したいと思います。
今日は旅の思い出…中国地方の温泉とお城巡りに思いを馳せた一日でした。
ではでは!
最後までご覧いただいてありがとうございます! お礼申し上げます!!