2月になって、世の中が一段と騒がしくなってきました…。
こんなときは少し遠くに出掛けてのんびりしたいなぁ~。
あー、でも旅に行けないっ!!
…ということで、悶々と高まる気持ちを静めるために、
久しぶりに旅の思い出を振り返ろう~と思いました。
今年初めてご紹介する旅の思い出は、九州への旅。
今回は、以前大阪で仕事をしていた頃、島原半島にある原城跡を訪ねた思い出を
ご紹介したいと思います。
(もう5年ほど前のお話になります…時が経つのは早いものです…)
~~ここから~~
今回の行程:大阪⇒博多⇒諫早⇒島原港⇒原城跡⇒島原港⇒大牟田⇒久留米(泊)
島原の乱…をご存じでしょうか。
江戸時代初期に起きた一揆で、キリシタン弾圧に対する反乱とも言われています。
学校の教科書にも載っている出来事ですが、その舞台となったのが、
一度訪ねてみたいなぁ…と以前より思っていたのですが、いかんせん九州は遠く…。
しかーし!その後大阪で仕事をするようになり、とある日に、地図と時刻表を眺めて
いると、新幹線と特急を乗り継げばそれほど遠くないことが判明!
「これは行けるのではありませんか😊」
⇒数日後の早朝、始発の新幹線に飛び乗るワタクシがおりました…♪
(相変わらず、飛び出してばかりのワタクシ…)
以前ご紹介したこともありますが、博多駅の在来線ホームには立ち食いそば屋ならぬ、
立ち食いラーメン屋さんがあります(その名も「はかたラーメン」)。
日本広しと言えども、立ち食いのラーメン屋がある駅はここだけではないでしょうか。
朝そば…もとい朝ラーメンをいただき、次なる特急かもめ号へと向かいました。
諫早まで、特急かもめ号に乗って向かいました。
車内にはいかにも鉄ちゃん!というお客さんも多かったですね。
(あっ、ワタクシもかぁ~テヘヘ♪)
1両編成の気動車はのんびりと進んでいきます。
ミカンを食べているおばあさんもいました…こういう旅の風景もいいものですね…。
しばらくすると列車は有明湾沿いへ…海と並走しながら進んでいきます。
大三東駅を紹介するHPさんもありました♪
後で知ったのですが、幸せの黄色いハンカチが飾られている駅としても
有名なんだそうです。
1991年から始まった雲仙普賢岳の噴火を記憶にされている方も多いかと思いますが
噴火による土石流は海の近くを走る島原鉄道の線路も飲み込み、高架化の工事期間も
含め、復旧まで4年を要しました。
その後も経営努力を続けたものの路線の赤字が続き、結局2008年に島原港より
先の区間は廃止となりました。
バスに乗っていると、所々で当時の駅舎がそのままになっていたり、廃線跡と見受け
られる土地が見られたり…往時はどうだったのかな…なんて想像してしまいます。
島原港駅からバスで50分ほど移動して、原城前バス停で下車しました。
ここが原城跡の入り口になります。
「やっとここまで来たぞー!!」
時間は午後1時半…新大阪駅を出て7時間半ほど経っておりました。
(いやぁ~長かったぜっ!!)
さぁ、歩いていきましょうか~。
原城は1496年、当時この地を治めていた有馬氏によって築城されました。
海に突き出た台地の上に築かれ、本丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで
構成されていました。
周囲4キロほどの広さで、海側は断崖となっています。
(海側から攻めるのは難しかったことでしょう。おかげさまで良い眺めであります…)
有馬氏は江戸時代に日向国延岡へと転封となり、1616年に大和国より
松倉重政がやってきましたが、松倉氏は島原城を築城したこと、また江戸幕府より
その後、1637年に廃城となっていた原城に一揆勢が立てこもり、島原の乱へと
発展していくこととなります。
天草の民も参加したことから、島原・天草一揆とも言われています。
以前の領主であった有馬氏はキリスト教に入信したことから、島原にはキリスト教を
信奉する人たち、いわゆるキリシタンが増えていきました。
有馬氏の後を受けた松倉氏は過酷な税の取り立てを行うとともに、有馬氏の方針とは
真逆にキリシタン信者に対して厳しい弾圧を行っていきます。
過酷な取り立てで生活が儘ならないなかで信仰が結びつき、キリシタン信者が一揆を
起こした…と、以前学校では学んだ記憶がありますが、実際は生活の厳しさに対する
不満が一気に爆発した…というのが実情ではなかったかと思います。
天草氏などの土着の土豪たち、転封となった有馬氏、改易となった加藤氏、小西氏など
の元家臣も加わった総勢37000人の一揆勢は最後にこの原城に立て籠もりました。
しかしながら、外からの救援もないまま、最後は兵糧が尽きて、幕府軍の総攻撃を受け
城は落城、籠城していた人たちは皆殺しになったと聞きます。
本丸跡に立つと、これほどの広さの城跡に陣立てして、90日近くもよく防いだなぁ…
これは武士と武士との戦いだったのではないかなぁ~としみじみ思いました。
鉄砲も多数抱えていたとも聞きますし、まだ戦国時代の雰囲気が色濃く残っていたの
かもしれない、そんな気持ちにもなりました。
一揆の首領は天草四郎時貞と言われていますが、恐らくは関係者の間で盟約的な立場
に位置付けられた、いわゆるシンボルのような存在だったのかもしれませんね…。
島原の乱後、領主であった板倉勝家は乱の発生と苛政の責任を取り切腹となります。
また天草についても、領主であった寺沢氏は改易処分、天草の地はその後幕府の天領
となり、幕末を迎えることとなります。
島原の乱より1年半後、ポルトガルは国外追放となり、この地のキリシタン信者は
隠れキリシタンとして、幕末まで忍んでいくこととなります。
帰りのバスの時刻もあり、お城跡に滞在したのは1時間半ほどでした。
あっという間に時間が来てしまいましたが、長年訪ねたかった原城跡、
じっくり見て廻ることができました。
この地に当時、37000人もの人がいたとはとても思えません。
食糧を維持するのも大変だったことでしょう…。
最後は沖合からオランダの軍船が大砲で射撃したことにより籠城軍の士気が
一気に落ちたとか。
カソリックとプロテスタントとの代理戦争的な側面もあったのでしょうか…。
(世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連資産」にも指定されています)
www.city.minamishimabara.lg.jp
島原市内に戻ってきました。
本日のお宿は福岡県の久留米市内にあるワタクシの大好きな温泉「湯の坂温泉」です
もう夕刻となり諫早経由で戻っていられないので、島原から大牟田へ高速船でワープ
することにしました😊
その名も三池島原ライン…島原からは50分ほどで大牟田市の三池港に到着します。
(同じルートで移動するのも面白くないですから…テヘヘ♪)
有明湾をスイスイ進む高速船…三池島原ラインさんのHPはこちらです♪
(晴れたらもっと良い眺めだっただろうなぁ…)
三池港からは連絡バスで大牟田駅へ。
西鉄電車に乗って、西鉄久留米駅まで移動し、お宿の湯の坂温泉に到着しました。
(すっかり日も暮れておりました…)
以前こちらの記事でもご紹介しました湯の坂温泉。
ワタクシの大好きな温泉でもあります(もうこれまで何回訪れたかしら…?)
西鉄久留米駅より歩いて10分ほど。住宅街にある温泉施設です。
日帰り温泉がメインの施設ですが、宿泊棟もあり、最上階には宿泊客専用の
湯舟があります。
宿に到着後、さっそくお風呂に入ることにしました。
100%かけ流しの温泉です。加温加水などはしていません。源泉そのままです♪
24時間いつでも入ることができます。
泉質はアルカリ性単純硫黄泉。小さな湯の花がゆらゆらと浮かんでいます。
PHは9.5。お肌がつるつるになる温泉です。
(ワタクシ、つるつる系の温泉大好きなんです~😊😊)
(写真はちょっとボケていますが…)右側の小さな湯口から、新鮮な温泉が常に
とろとろと注がれています。
湯量も十分あります!
湧出時は48度あるらしいですが、それほど熱くなくのんびりと浸かることができます
湯舟は2~3人が入ればいっぱいになる広さ。洗い場も3つだけ。
でも宿泊客が多くはないのか、他のお客さんと鉢合わせすることはめったにありません
ワタクシ、何度も宿泊しましたが、他のお客さんと出会ったのは朝に一度きりでした。
ほぼ貸し切りで入れる、天然100%つるつる温泉。
お近くにお立ち寄りの際はいかがでしょうか?
(このお風呂は宿泊しないと入れませんので、ご注意ください~♪♪)
湯の坂温泉さんのHPはこちらです。地元のみなさんに愛されている温泉です。
(スタッフさんも温かいですよ。いつも「また来られましたね~♪」と受付の方が
微笑んでくれます😊😊)
島原市内に水屋敷と呼ばれている民家さんがあります。
お庭に湧水が湧いていて、民家の縁側からお庭の池を眺めることができる…
島原の観光名所のひとつとなっています。
以前、長崎へ出張した際に、水屋敷に寄って、縁側で池をほげほげ眺めながら
かんざらしを食べた思い出があります。
今回、水屋敷に寄る時間がなかったので、代わりに島原港でかんざらしを買って
お宿でいただきました
懐かしい味…美味しかったです。
(ご紹介の順序が逆となりましたが、島原の水屋敷さんはこちらです。今も営業
されているようです。機会があればまた訪ねてみたいです。夏は島原名物の
そうめんもいただけます。美味しいですよー)
今回、思い切って訪ねた島原、原城跡。
写真がとても多くなってしまい、データも重くなりましたので、
本日はここまでとさせていただければ…と思います。
(ここまでご覧いただきまして、ありがとうございます)
今は東京におりますので、島原も随分遠く感じます。
行けるときに行っておいて、本当に良かった…思い立ったらGO!ですね😊😊
世の中が落ち着きましたら、再び訪ねてみたいです。
~~ここまで~~
実は今回の旅はこの後、久留米に1泊した翌日、大分県の九重高原にある
温泉郷をいくつか訪ねました。
続きは次回…またの機会に旅の思い出をご紹介したいと思います。
(今しばらくお待ちくださいませ…♪)
今日は九州・島原、原城跡を訪ねた旅の思い出を振り返った一日となりました。
ではでは!
最後までご覧いただいてありがとうございます! お礼申し上げます!!