もうすぐ11月になりますね。
今年も残すは2カ月。
本当は遠くへ、泊りがけで旅に行きたいなぁ~とは思うのですが、
(GOTOキャンペーンなどもありますし…)
ワタクシ寒がりなので(あー面倒くさいなぁ~と)遠くへ旅することができずにいます
(そろそろ、九州、四国、中国地方へ遠征したい気持ちもあるのですけれど♪)
急に寒くなってきましたし、ねこはこたつで丸くなる…ではないですが♪♪
おうちのふとんで丸まっているうちに、このまま正月を迎えそうです(爆)。
うん、でもやっぱり旅に行きたぁ~い!!
ということで、そんな気持ちを慰める?ために、ちょっと昔の旅の思い出を振り返って
みようと思います。
旅の思い出シリーズも回数を重ねてきましたが、今回は山陰への旅です。
戦国時代、山陰の雄と呼ばれた尼子氏の居城、月山富田城。
お城百選にも選ばれた古城、松江城のふたつのお城巡りを。
その後に廻った宍道湖と鉄道ラブな方の聖地のひとつ、木次線への旅も併せて…
当時作成した資料とともに、ご紹介します。
(お茶受け代わりにご覧いただけましたら、幸いです)
・・・ここから・・・
(大阪から米子へ。米子で前泊でした)
一日目:米子⇒広瀬(月山富田城)⇒松江(泊)
今から5年前になりますが、大阪で仕事をしていたときのお話です。
たまたま仕事で米子へ行く機会がありまして、「あ、月山富田城へ行けるのでは?」
と思い、週末に仕事の予定を入れることに成功!!
長年訪ねてみたかった、尼子氏所縁の月山富田城を訪問することができました。
月山富田城は、室町時代から戦国時代にかけて、山陰地方の覇者であった尼子
(あまご)氏の本拠として築かれたお城です。
日本五大山城のひとつとも言われ(他は春日山城、七尾城、小谷城、観音寺城)、
難攻不落の城でもありました。別名「天空の城」とも呼ばれています。
尼子氏は、宇多源氏佐々木氏(京極氏)の分家でした。室町幕府でも要職をなした
佐々木(京極)道誉のお孫さんが、近江(今の滋賀県ですね)の尼子荘に住み、
土地の名前をとって、尼子氏と名乗り始めたことがその由来と言われています。
(今も近江鉄道に「尼子」という駅があります)
その後、京極家が出雲の守護となり、尼子家は守護代として出雲へ乗り込みます。
やがて時を経て、1486年。尼子家は経久の代となっていました。
経久は、一度守護代の地位から追い出されていましたが、この年、月山富田城を戦で
奪い返し、それ以来、尼子氏が守護として、やがて戦国大名となり、勢力を広げて
いくこととなります。
尼子氏は、経久、その孫の晴久の頃に、山陰山陽八か国の守護となり、最盛期を迎え、
月山富田城はその中心地として大いに栄えたと言われています。
ホテルの案内を見ると、アロマオイルマッサージがあるとのこと。
ワタクシ、チャレンジャーなので(爆)、物は試し!とばかりお願いしてみました。
1時間みっちり…いやぁ気持ち良かったです♪
(施術してくれたおばちゃんの話がおもろいこと、おもろいこと…色恋話ばっか♪)
⇒本筋とは関係ないですね~脱線でした。その後しばらく、アロマにハマりました!!
翌朝は晴天!早めに起きて、米子城跡などを散策した後、月山富田城へ向かいました。
米子から始発のバスに乗って、1時間ほどで広瀬バスターミナルに到着です。
早速、月山富田城へ向かいましょう!!
(地図は、安来市さんの安来観光ガイドさんよりお借りしました)
月山富田城は、標高191mほどです。
月山の険しい地形を活かして、各所に千畳平、花ノ壇、山中御殿など防御用の施設を
配置し、山中御殿から更に七曲りといった急な坂道を登って、三の丸、二の丸、本丸…
という順番に攻めなければなりません。
(攻める方は、気が遠くなると思うけどなぁ~兵糧攻めしかないように思いますが…)
安来市歴史博物館の隣の登り口から、登っていきました。
しばらく登ると、千畳平という平坦な土地に出ます。
(土地は広いですね…何に使われていたのかしら?)
更にくねくねとした道を登っていくと…
(防御用なのでしょうね…登っていくのも大変ですが!)
花ノ壇と呼ばれている平場に出ました。
千畳平の次は、ここで登ってくる敵を防ぐという訳ですね。
少し休憩した後、出発です。
(岩陰からヤマカガシが現れて、ちょっとビックリ!久しぶりに見ました~)
花ノ壇を出て、しばらく進むと、山中御殿が見えてきました。
山の中腹に、どどーんと土地が広がります。
ここに館がいっぱいあったのかな?
(山中鹿之助の山中さんとご縁があったのかしら?)
山を削って、ここまで整えるのは大変だったことでしょう。
山の中腹に、こんな広い土地を持つ山城は珍しいのではないでしょうか。
館で来訪者を接待したり…敵が攻めてきたら、守りにも欠かせませんね。
ここで日々、どんなことがあったのかな?…と、想像するのは楽しいです。
山中御殿からは、正面に京羅木(きょうらぎ)山が見えました。
(毛利元就が尼子家を滅ぼした戦いのとき、毛利軍の本陣が置かれた山です)
京羅木山と月山富田城の位置関係はこんな感じです。広瀬の街を挟んで、睨み合い…
月山富田城の歴史も紹介していました。尼子家170年の歴史も刻まれています。
尼子晴久は、毛利元就の策略にはまって、有力な一族であった新宮党を誅殺してしまい
ました。そのため、尼子家の戦力が大幅にダウンしてしまいました…。
信長の野望でも、新宮党の人たちの武力は高かったような気が…ふふふ。
(元就はたたき上げの苦労人だけあって、人の心を読むのが上手かったからなぁ~)
山中御殿を後にして、本丸へと向かいましょう!
ここから先も急な坂道が続きます。
通称「七曲り」。結構きつい坂です。上から矢を射かけられたら、たまりませんね~
どんどん進んでいきましょう。
歩いていると、何度もアオダイショウさんに出会いました。
(山の守り神なのかも…勝手な想像ですが♪♪)
途中「山吹の井戸」という風流な名前の井戸もありました。
やっと三の丸に到着です。
まだ三の丸ですよ。こんな城、普通落とせません。
(元就も最後は、講和の形で城攻めを終えています…)
更に登って、二の丸に到着しました。眼下に広がる景色が素晴らしいです。
毛利軍と尼子軍の戦の様子(軍の配置)も紹介されていました。
1年間、城は毛利軍に囲まれていたそうです(よく持ちこたえましたね~)。
二の丸と本丸は、ほぼ同じ標高です。
本丸は周りに木々があって、眺望が悪いため、ここ二の丸からの景色がおすすめです。
周囲を見渡せる絶景です。天気がよければ、遠く中海まで見えるそうです。
堀を越えたすぐ先に本丸があります。本丸はそれほど広くありません。
(二の丸の方が、インパクトがありますね~)
再び二の丸に戻ってきました。ちょうど正面に京羅木山が見えました。
城攻めでは、いかに相手より高い位置に陣取るかが重要です。
毛利軍は、月山富田城より標高の高い京羅木山に陣取ったのは大きかったですね。
(月山富田城の城内が良く見える訳ですから…尼子軍を上から威圧する効果もあります
困ったでしょうね、尼子軍は…)
その後しばらくの間、ぼぉ~と景色を眺めていました。
さぁ、そろそろ下山しましょうか。
再び山中御殿まで降りてきました。帰りはお蛇さんにはお会いしませんでしたね~。
麓まで降りてきました。月山富田城は、尼子氏が滅んだあと、毛利家、堀尾家と城主が
変わりましたが、堀尾家は松江に拠点を移したため、月山富田城は廃城となりました。
次は、尼子家の一族、新宮党の館跡へ向かいます。
新宮党の館跡は、月山富田城の北側、新宮谷と呼ばれた一角にありました。
尼子経久の次男国久と、その息子の誠久たちが率いる新宮党の軍勢は、尼子家中でも
最強の軍団でした(新宮谷に居館があったので、新宮党と呼ばれていました)。
戦に強い人は鼻息が荒いですからね…領国の経営でも色々モメていたとか…
晴久としては、徐々に眼の上のたんこぶ的な存在となっていったのでしょう。
そこを毛利元就につかれたのかな?それとも、いい機会だから粛清しちゃおう!と
なったのかも…いずれにせよ、尼子軍の戦力ダウンとなったことは否めません。
今、新宮谷には館の跡と、小さな神社さんが佇むのみ…。
新宮谷や館跡は訪ねる人もなく、現地はワタクシひとり、静かな時間が流れていました
新宮党を生かしておいたら、毛利との戦はどうなっていたのかな…なんて想いながら、
散策しました(風がさぁぁ~と吹いていて、気持ちのよい場所でした)。
最後に尼子家の菩提寺である洞光寺に寄りました。尼子家の歴代のお墓があります。
お墓は高台にあって、正面に見える月山富田城を見つめていました…。
(お墓から見ても、月山富田城はさすが難攻不落の城と言われるだけあるなぁ~と
感じました)
ここまで滞在時間は3時間ほどだったでしょうか。
月山富田城、新宮谷、広瀬の街をじっくりと巡ることができました。
最後に安来市観光協会さんのHPをどうぞ♪(月山富田城を紹介しています~)
次は、松江城へ向かいました。
広瀬バスターミナルから、バスで一旦安来駅に出て、山陰本線で松江へ。
途中の車窓も良かったです(写真撮ってなくて、ごめんなさい!!)。
途中(お城に登る前に)ちょっと遅めのランチをいただきました。
ランチはもちろん出雲そば…楽しみにしておりました!
今回おじゃましたのは、お堀端にある「八雲庵」さん。
三重のおそばに、出雲そば独特の濃いぃ~辛いつけ汁…美味しかったです♪♪
八雲庵さんのHPもどうぞ~♪
さぁお腹も大満足!さっそくお城の天守へ参りましょう!
さすが国宝松江城、お客さんでいっぱいでした!!
まもなく日が暮れようかという…夕刻時。天守から見える宍道湖はとてもきれいでした
(写真はちょっとわかりずらいかも…すみません!)
天守は窓もなく、開けっ放しで開放感がバツグン!(ちょっと怖いくらいです)
ぐるっと四方を眺めることができます…見晴らしのよい…いい景色です♪
(天守が現存するお城は、日本全国で12城しかありません)
お城は、計算しつくされた美の世界といいますか…さすが、歴史を感じますね♪
(保存・維持管理にも、地元の方々は大変なご苦労があることと思います)
松江城を紹介するHPもありました…こちらからどうぞ~♪
お城から、一畑電鉄松江しんじ湖温泉駅へ移動し、ここで自転車を返却しました。
(自転車は乗り捨てができます)
宍道湖の湖畔にやってきました。夕日が見れるかなぁ~と思ったのですが、
あいにく雲が出てきてしまいました(残念っ!)。
ざざぁ~ん、ざざぁ~んと打ち寄せる波…湖といいながら、ほとんど海ですね。
最後、真ん丸の太陽も見れましたし、満足でありマス。
(宍道湖は、一度見たかったんですよ~)
日が暮れるまで、湖面を見つめていました。
旅は思い立った時に行かないと、行けなくなるものですね。
今、東京から行くとしたら、大変な距離だなぁ~なんて、この原稿を書いていて、
しみじみ感じました。
夜ご飯は近くの居酒屋で♪美味しい熱燗と初めて食するのどぐろに興奮した夜でした😊
二日目は、電車での移動が多い一日となりました。
翌朝、早起きして宍道湖へ日の出を見に行きました。
空気が澄んでいて、とても気持ちいいです。しじみ舟が漁に出ていきました…
日の出です。ぼぉ~と見つめていました(日の出に感動して、動けなくなりました…)
松江からは、宍道湖をぐるっと回るコースをチョイス!
(景色にみとれていて、写真を一枚も撮っていないことに、後で気づきました…汗)
宍道からは木次線です。出発まで時間がありましたので、湖畔へ行ってみました。
目の前に出雲空港も見えました(宍道駅からこんなに近いとは!)。
とにかく風が強くて(寒かったので)、早々に駅へ戻ることにしました。
さぁ、楽しみにしていた木次線です!一日に数本しかない、レアな路線です。
かわいらしい気動車でトコトコと進みます。
(事前に調べていなかったので、偶然トロッコ号に出会って、大歓喜!しました~)
奥出雲おろち号は、今も運転しているようですね。こちらからどうぞ~♪♪
木次線のスイッチバック、深い谷の絶景(列車は速度を落としてくれました)などなど
木次線を堪能して、終着駅の備後落合に到着しました。
前々から乗って見たかった木次線、なかなか良かったですよ~
⇒三江線も廃止となってしまった今、木次線は観光路線とはいえ、わかりませんから…
備後落合駅は、谷あいにある静かな駅でした。
周辺に住んでいる人はいるのだろうか…というぐらい何もない駅でした。
備後落合駅は人が交差する駅…宍道へ戻る列車、三次行きの列車、
そしてワタクシが乗る新見行きの列車。
三者三様、それぞれ出発していきます。
こういう駅に来ると、やっぱり鉄道の旅っていいなぁ~と思います。
いつかここに戻ってくる日はあるのかな?…なんて想っていたような気がします。
朝、日の出前から起きていたせいか、その後は新見までほとんど寝ていました。
(ほぼ爆睡状態・・・うーん、致し方なし!)
新見からは、特急やくも号で岡山まで。新幹線で大阪へ戻りました。
前泊はしましたが、1泊2日の旅…
あっという間でしたが、数々の史跡、豊かな自然に触れる…良い旅だったと思います。
~~ここまで~~
長年訪ねてみたかった月山富田城、松江城、宍道湖、そして木次線。
天候にも恵まれたこともあり、たくさんの感動をいただきました。
旅はやっぱりいいですね。
今はネットでも旅をすることはできますが、
実際に足を運んで、この眼で見て、体感して…そこから得るものはやはり違います。
ワタクシの視野を更に広げてくれた…そんな気がします。
今回もいろいろ本当にありがとうございました!感謝です!!
少しご紹介が長くなってしまいましたが(!)、
最後までご覧いただきまして、ありがとうございます♪♪
(また機会を見つけて、旅の思い出をご紹介したいと思います😊)
今日は、ちょっと昔の旅を振り返った一日でした。
ではでは!
最後までご覧いただいてありがとうございます! お礼申し上げます!!