西ノ島、別府港にて。お宿「ホテル隠岐」は港の目の前にありましたので、少し早起きをして、桟橋で夜明けをずっと眺めていました
長雨が続きますね。
梅雨も本格的かと(じとじとして、うっとおしい時期ではありますが‥)。
それでも、この時期に雨がないと、夏へ向けて作物たちも困りますし・・・
もう4年前になりますが、この6月に隠岐諸島を訪問しました。
長年行きたかった離島でした。
この夏もどこか、島へ行きたいなぁ~という思いを秘めつつ、
このときの旅の思い出を、当時作った資料を交えながら、ご紹介したいと思います。
(お茶受け代わりにご覧いただけましたら‥幸いです‥‥)
・・・ここから・・・
一日目:米子⇒七類⇒知夫里島(島前)⇒中ノ島(島前)⇒西ノ島(島前)
隠岐諸島は4つの島からなります。
(厳密にいうと、竹島は隠岐の島町に属していますから「5島」となりますが、
今回は、有人島としての4島ということにしておきましょう!)
「島前(どうぜん)」と呼ばれる、知夫里島、西ノ島、中ノ島の三島と、
「島後(どうご)」の2つのエリアに分かれます。
島前がなぜ3つの島に分かれているかというと、タクシーの運転手さんに教えて
もらったのですが、島前はカルデラだったから・・だそうです。
下の地図を見ると、その名残が感じられますね。
1泊2日の旅でしたが、両日とも晴天に恵まれました(ありがたいことです!)。
西ノ島の別府港での日の出です。
米子からバスで1時間ほど乗ると、七類港へ到着します。
隠岐へは「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な境港からも船便がありますが、
今回は島根半島の日本海側に行ってみたかったので、七類港発の船をチョイス!
境港の大橋を渡って、しばらく行くと七類港。小さな港です。
先に出発する船の汽笛の音を聞いていたら、ほろっと涙が出ました。
(感動しやすいもので・・・船の汽笛、ぼぉーぼぉーという音って好きなんです)
船は最初の停泊地、知夫里島の来居(くりい)港へと向かいます。
島根半島があっという間に遠ざかっていきました。
1時間半ほど進むと、遠くに隠岐諸島が見えてきます(資料の3時間は間違いかも)
海面はとびうおがいっぱい飛んでいました!
途中で、本土へ向かう船ともすれ違いました。。。
七類港より2時間ほどで来居港へ到着となります。
来居港は港だけで、集落は離れたところにあります。
集落へはループ橋を登っていきます。生活には車がないとしんどいでしょうね。
知夫里島は赤壁も有名ですが、今回は時間がないので、島を眺めるにとどめました。
15分ほどで出航です(いつか来たいですね、知夫里島は(おおっ~いつじゃ?))
日本海を越えますので、船はそこそこの大きさ。
デッキも広いです。潮風が気持ちよかったですね~。
40分ほどで、西ノ島・別府港へ到着です。
後醍醐天皇の行在所と言われる「黒木御所」跡のそばを通って、入港しました。
離島の港って、雰囲気が温かくていいですね♪♪
時間がまだありますので、このまま乗船し、お隣りの中ノ島へと向かいます。
30分ほどで中ノ島・菱浦港へ到着しました。
菱浦港よりバスで15分ほど。
本日の最初の目的地。隠岐神社です。
誰もおらず、静かなひとときでした。
1221年の承久の変で朝廷方が敗れたことにより、後鳥羽上皇は隠岐へ配流となり、
以後1239年に崩御するまでの18年間、隠岐の地に留まることとなります。
敷地内には後鳥羽上皇の行在所、亡くなられた後の火葬塚の跡もあります。
後鳥羽上皇が愛用された菊花の紋は、現在の皇室の菊の御紋の起源とも言われています
道を挟んだ反対側には資料館もありました。
隠岐神社のHPもぜひどうぞ。。。
次に向かったのは金光寺山。山頂からは島を一望できます。
隠岐神社の前で「バスがしばらくないなぁ~。どうしようかな?」と思っていたら、
偶然、目の前をタクシーが!(なんたる偶然っ♪ 即、手を上げました(ニコニコ))
タクシーの運転手さんも「こんなところで拾われるとは思わなかったわー(笑)」と
嬉しそうでした。
道中いろいろよもやま話をしました。
隠岐にはイノシシやサルがいないそうですね。田畑が楽だと伺いました。柵も不要。
本土から離れているからでしょう、きっと(さすがに泳いでは来れないでしょうから)
金光寺山は海抜148m。写真はちょっと小さいですが、すばらしい眺めです。
小野篁も1年2か月、隠岐に配流されていたのですね。金光寺山頂にある金光寺に
百日間籠って赦免を願ったとか、そんな案内看板もありました。
運転手さんも「ここはいいよ、あんまり人も来ないし」とお薦めしてました。
場所はこのあたりです。
そのあと、海が見たくなったので、明屋海岸へ向かいました。
運転手さんから海への道順も聞いていたので(丁寧な、優しい運転手さんだったなー)
道にも迷わずに済みました。ずっと下り坂を1時間ほど、ハイキング気分でありました
帰りのバスが来るまでの30分ほど。防波堤の突端で寝転んだり、
缶コーヒーを飲んだりしながら、ぼぉ~としてました。
海を見ながら、ただただ時が流れていきます。。。
遠くにバスが見えました。あー、もうバスが来てしまった。
後ろ髪を引かれる思いで、明屋海岸を後にしました。
気持ちのよいひとときをありがとうございました!
中ノ島は行政でいうと「海士(あま)町」 移住で人気の高い町ですね。
(はるか昔ですけど、ビックダディが海士町への移住を希望しましたが、
町に断られて、おっさん怒っていましたね・・・ふふふ。断って「正解」)
菱浦港より、西ノ島の別府港へ戻りました。
宿に入る前に、港近くの黒木御所跡を訪ねました。
後醍醐天皇が隠岐から脱出するまでの1年間、過ごした場所と言われています。
(同じく流刑となっていた、三位の局(阿野廉子)と一緒に脱出したのでした)
今は建物もなく、住居跡だけですが、きれいに整備されていました。
こちらが本日の宿「ホテル隠岐」
1階のレストランで夕食をいただきます。
夕食後、まだ日が出てましたので、タクシーで島の西にある国賀海岸へと向かいました
国賀海岸は断崖が続く名勝で、昭和13年に国の名勝にも指定されました。
夕陽の撮影ポイントとしても有名な場所です。
タクシーの運転手さんと一緒にカメラを構えてましたが、最後霞んでしまって、
海に沈む瞬間は見れませんでした(残念!)。
運転手さんも「今日は見れると思ったのになぁ~」とちょっと残念そうでした。
>運転手さんとふたり「ハイタッチ!」するつもりが・・・
二日目:西ノ島(島前)⇒島後⇒伊丹(当時は大阪に住んでいました)
翌朝、早めに起きて、港で日の出を待ちました。明るくなってきました。
昔から日の出の瞬間が好きです。空を光がさぁーと走っていきます。
しばらく見とれていました・・・
ホテル隠岐のお部屋はこんな感じです。
港の目の前にありまして、窓を開けると、海が一望できます。
ただこの日は、開けてると蚊が部屋にいっぱい入ってきて困りました・・・
ホテル隠岐さんを紹介する地元のサイトもありました・・・よろしければどうぞ♪
1階の食堂で朝食をいただいた後(写真なくてごめんなさい!美味しかったです!!)
ジェットフォイルに乗って、島後へ向かいます。
1時間ほどで島後の西郷港に到着です。
まずはバスで、隠岐一の宮の「水若酢(みずわかす)神社」へ行きました。
敷地には資料館や闘牛場がありました。
資料館では竹島の歴史も展示されていました。当時は隠岐から人が渡っていたとか。
隠岐は闘牛も有名です。一度、見てみたいと思いました。
本殿は静かでありました。
朝も早かったからか、誰一人いませんでした。
バス停はちょっとユニーク。手作り感があります。
隠岐は島前もそうですが、少し島の中に入ると田畑が広がります。
昨日の運転手さんも、「耕地面積は相当あるよー」と言っていたっけ。。
島の奥へ行くと、海が見えないので、島にいることを忘れてしまいそうになります。
バスが来るまでの間、川のそばのバス停で田んぼをぼぉ~と眺めていました。
水若酢神社の紹介(隠岐の島町観光協会のHPから)もどうぞ。。。
次に向かったのは隠岐国分寺跡。
後醍醐天皇の行在所とも言われていますが、西ノ島にも黒木御所があり、どちらなのか
論争があると伺いました(ただ、ここは海から離れているので、西ノ島ではないかなぁ
~と個人的には思うのですが・・・さてはて)
小さな資料館があって、後醍醐天皇の説明がいくつか。
島前もそうですが、いろんな皇族の方々が隠岐には来られているのですね。
次は歩いて30分ほどのところにある(暑かった・・・)、玉若酢神社とその神職で
ある億岐(おき)家のご自宅へ伺いました。
隠岐という名の由来でもある億岐国造の末裔の方(!)がお住まいです。
大国主命の末裔でもあり、お隣にある玉若酢神社の神職を代々務めてきました。
出雲大社の神官、千家家と同じくらい古い家柄です(ちょっとビックリ!)。
かやぶき屋根のご自宅も見事ですが、ぜひ訪問してほしいのが、隣にある資料館。
奈良時代に作られた駅鈴が今も現存しており、見ることができます。
高いリーンという音も聞くことができます。
使者の到着を知らせる駅鈴の音はとても澄んだ、高い音で、この音なら遠くからでも
聞くことができるかな?と思いました。
駅鈴はこんなイメージです。
資料館は億岐家の奥様にご案内していただきました。
奥様、埼玉県ご出身だとか。
慣れない土地で最初は大変だったこと(古いしきたりもあることでしょう)、茅葺きの
取り換えはとてもお金がかかって大変なこと(なので、資料館は有料(300円)です)
億岐家住宅は重要文化財にも指定されています。
家を守るというのは大変なことですよね。
ワタクシ、東京から来たんですよーと話したら、ちょっと嬉しそう。
話が盛り上がってしまいました。。。
億岐家の奥様にお礼を申し上げたあと(奥様、本当にいろいろありがとうございまし
た!)、歩いて西郷港へと向かいました。
途中に何か所か、古い城跡もありました。
本土から離れているのに、城が果たして必要なのか?とも思いましたが、
土地は広いですからね・・隠岐国内でもいろいろあったのでしょう。
少し遅めのお昼を摂りました。
「隠岐そば」という郷土料理があるとのことで、
港から近い味乃蔵さんでいただきました。
隠岐そばとは
「隠岐そばは、つなぎの小麦粉を使わず、そば粉だけで作るため、箸上げが難しいほど
切れやすいのが特徴です。出汁(だし)は、焼サバから取り、薬味には岩のり、
ねぎ、ゆず、いりごまなどがのせられます。冠婚葬祭や新年会など、人が集まる時
には必ず振る舞われている隠岐の伝統料理で、かつては、各家庭にそばを打つため
の練り鉢があるほど、身近な味でした(島根県HPより)」
というものだそうです。
面白い触感ですね(そばが切れやすく、お茶漬けに近いかも・・)。
美味しゅうございました!
小型プロペラ機でしたが、1時間半で到着!
まとめにも記載がありますが、はるばる電車、バス、船と乗り継いで来た、
行きの8時間かかった行程を思うと、「あれ?もう着いたの・・」という感覚でした。
タイムトラベラーって、こんな感じなのかな?とか思ったり。
まぁ、時間を買ったわけで、その分、足は出ましたが・・・
(空の眺めは良かったです!)
・・・ここまで・・・
隠岐のような離島は、行けるときに行っておかないと、
なかなか行く機会はないだろうなぁ~と思っていました。
個人的に「迷ったらGO!」「やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい!」
というタイプなものですから、今回思い切って、隠岐へ向かった次第です。
(ちょうど米子に用事がありましたので、「チャンスだ!」と思いまして(ニコニコ)
古い土地柄でもあり、また、古来から流刑地であった…という歴史から、
後鳥羽上皇、後醍醐天皇に関わるものをはじめ、様々な史跡がありました。
(どの史跡も地元の方によって、大切に維持管理されていたことが印象的でした)
竹島と隠岐にはかつて交流があり、隠岐から多くの方々が竹島へ渡っていたことも、
現地へ行って初めて知りました(島後にある資料館は参考になります)。
隠岐の方々は親切で気さくな方が多かったですね。
いろいろ話をお聞きすると、丁寧に教えてくださいました。
ワタクシ、海を眺めてぼおーとするのも大好きなので、
国賀海岸、明屋海岸を始め、短い時間ではありましたが、
のんびりすることができました。
癒しの機会をいただき、また、皆さまとのご縁にも感謝の気持ちでいっぱいです♪
(「よっしゃ!がんばろう~」と、元気をもらいました!)
今回上陸できなかった知夫里島にも、いつか行ってみたいですね。
今回は、1泊2日の隠岐諸島への旅の紹介でした。
また機会がありましたら、旅の思い出に触れたいと思います。
ではでは!
最後までご覧いただいてありがとうございます! お礼申し上げます!!