げんさんのほげほげ日記

その日に感じたことや、これまで考え続けてきたことなどを 徒然なるままに綴っております(雑話的なブログです)。 好きな読書を通じた、こんな本もありますよ~といった紹介や、 これまでの旅の思い出などにも触れていけたらな、と思っています。 (ブログの機能なども日々勉強中!)

旅の思い出~その8~隠岐への旅。後鳥羽上皇、後醍醐天皇の史跡を訪ねて。

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西ノ島、別府港にて。お宿「ホテル隠岐」は港の目の前にありましたので、少し早起きをして、桟橋で夜明けをずっと眺めていました

長雨が続きますね。

梅雨も本格的かと(じとじとして、うっとおしい時期ではありますが‥)。

それでも、この時期に雨がないと、夏へ向けて作物たちも困りますし・・・

 

もう4年前になりますが、この6月に隠岐諸島を訪問しました。

米子の先、島根半島七類港から船で向かった隠岐

長年行きたかった離島でした。

 

この夏もどこか、島へ行きたいなぁ~という思いを秘めつつ、

このときの旅の思い出を、当時作った資料を交えながら、ご紹介したいと思います。

(お茶受け代わりにご覧いただけましたら‥幸いです‥‥) 

 

・・・ここから・・・

一日目:米子⇒七類⇒知夫里島(島前)⇒中ノ島(島前)⇒西ノ島(島前)

隠岐諸島は4つの島からなります。

(厳密にいうと、竹島隠岐の島町に属していますから「5島」となりますが、

 今回は、有人島としての4島ということにしておきましょう!)

「島前(どうぜん)」と呼ばれる、知夫里島、西ノ島、中ノ島の三島と、

「島後(どうご)」の2つのエリアに分かれます。

島前がなぜ3つの島に分かれているかというと、タクシーの運転手さんに教えて

もらったのですが、島前はカルデラだったから・・だそうです。

下の地図を見ると、その名残が感じられますね。

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1泊2日の旅でしたが、両日とも晴天に恵まれました(ありがたいことです!)。

西ノ島の別府港での日の出です。

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米子からバスで1時間ほど乗ると、七類港へ到着します。

隠岐へは「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な境港からも船便がありますが、

今回は島根半島日本海側に行ってみたかったので、七類港発の船をチョイス!

境港の大橋を渡って、しばらく行くと七類港。小さな港です。

先に出発する船の汽笛の音を聞いていたら、ほろっと涙が出ました。

(感動しやすいもので・・・船の汽笛、ぼぉーぼぉーという音って好きなんです)

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船は最初の停泊地、知夫里島の来居(くりい)港へと向かいます。

島根半島があっという間に遠ざかっていきました。

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1時間半ほど進むと、遠くに隠岐諸島が見えてきます(資料の3時間は間違いかも)

海面はとびうおがいっぱい飛んでいました!

途中で、本土へ向かう船ともすれ違いました。。。

七類港より2時間ほどで来居港へ到着となります。

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来居港は港だけで、集落は離れたところにあります。

集落へはループ橋を登っていきます。生活には車がないとしんどいでしょうね。

知夫里島赤壁も有名ですが、今回は時間がないので、島を眺めるにとどめました。

15分ほどで出航です(いつか来たいですね、知夫里島は(おおっ~いつじゃ?))

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日本海を越えますので、船はそこそこの大きさ。

デッキも広いです。潮風が気持ちよかったですね~。

40分ほどで、西ノ島・別府港へ到着です。

後醍醐天皇の行在所と言われる「黒木御所」跡のそばを通って、入港しました。

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別府港では、鬼太郎のキャラクターがお出迎えです。

離島の港って、雰囲気が温かくていいですね♪♪

今日の宿は別府港前の「ホテル隠岐

時間がまだありますので、このまま乗船し、お隣りの中ノ島へと向かいます。

30分ほどで中ノ島・菱浦港へ到着しました。

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菱浦港よりバスで15分ほど。

本日の最初の目的地。隠岐神社です。

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隠岐神社の本殿です。隠岐造という建築様式だとか。

誰もおらず、静かなひとときでした。

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隠岐神社は後鳥羽上皇を祀る神社です。

上皇崩御700年に合わせて、昭和14年に創建されました。

1221年の承久の変で朝廷方が敗れたことにより、後鳥羽上皇隠岐へ配流となり、

以後1239年に崩御するまでの18年間、隠岐の地に留まることとなります。

敷地内には後鳥羽上皇の行在所、亡くなられた後の火葬塚の跡もあります。

後鳥羽上皇が愛用された菊花の紋は、現在の皇室の菊の御紋の起源とも言われています

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道を挟んだ反対側には資料館もありました。

隠岐神社のHPもぜひどうぞ。。。

okijinja.sakura.ne.jp

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次に向かったのは金光寺山。山頂からは島を一望できます。

隠岐神社の前で「バスがしばらくないなぁ~。どうしようかな?」と思っていたら、

偶然、目の前をタクシーが!(なんたる偶然っ♪ 即、手を上げました(ニコニコ))

タクシーの運転手さんも「こんなところで拾われるとは思わなかったわー(笑)」と

嬉しそうでした。

道中いろいろよもやま話をしました。

隠岐にはイノシシやサルがいないそうですね。田畑が楽だと伺いました。柵も不要。

本土から離れているからでしょう、きっと(さすがに泳いでは来れないでしょうから)

 

金光寺山は海抜148m。写真はちょっと小さいですが、すばらしい眺めです。

小野篁も1年2か月、隠岐に配流されていたのですね。金光寺山頂にある金光寺に

百日間籠って赦免を願ったとか、そんな案内看板もありました。

小野篁は、小野小町のおじいさんにあたります)

 

運転手さんも「ここはいいよ、あんまり人も来ないし」とお薦めしてました。 

場所はこのあたりです。

そのあと、海が見たくなったので、明屋海岸へ向かいました。

運転手さんから海への道順も聞いていたので(丁寧な、優しい運転手さんだったなー)

道にも迷わずに済みました。ずっと下り坂を1時間ほど、ハイキング気分でありました

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帰りのバスが来るまでの30分ほど。防波堤の突端で寝転んだり、

缶コーヒーを飲んだりしながら、ぼぉ~としてました。

海を見ながら、ただただ時が流れていきます。。。

遠くにバスが見えました。あー、もうバスが来てしまった。

後ろ髪を引かれる思いで、明屋海岸を後にしました。

気持ちのよいひとときをありがとうございました!

中ノ島は行政でいうと「海士(あま)町」 移住で人気の高い町ですね。

(はるか昔ですけど、ビックダディが海士町への移住を希望しましたが、

 町に断られて、おっさん怒っていましたね・・・ふふふ。断って「正解」)

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菱浦港より、西ノ島の別府港へ戻りました。

宿に入る前に、港近くの黒木御所跡を訪ねました。

後醍醐天皇隠岐から脱出するまでの1年間、過ごした場所と言われています。

(同じく流刑となっていた、三位の局(阿野廉子)と一緒に脱出したのでした)

今は建物もなく、住居跡だけですが、きれいに整備されていました。

 

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こちらが本日の宿「ホテル隠岐

1階のレストランで夕食をいただきます。

夕食後、まだ日が出てましたので、タクシーで島の西にある国賀海岸へと向かいました

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国賀海岸は断崖が続く名勝で、昭和13年に国の名勝にも指定されました。

夕陽の撮影ポイントとしても有名な場所です。

タクシーの運転手さんと一緒にカメラを構えてましたが、最後霞んでしまって、

海に沈む瞬間は見れませんでした(残念!)。

運転手さんも「今日は見れると思ったのになぁ~」とちょっと残念そうでした。

>運転手さんとふたり「ハイタッチ!」するつもりが・・・

 

二日目:西ノ島(島前)⇒島後⇒伊丹(当時は大阪に住んでいました)

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翌朝、早めに起きて、港で日の出を待ちました。明るくなってきました。

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昔から日の出の瞬間が好きです。空を光がさぁーと走っていきます。

しばらく見とれていました・・・

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ホテル隠岐のお部屋はこんな感じです。

港の目の前にありまして、窓を開けると、海が一望できます。

ただこの日は、開けてると蚊が部屋にいっぱい入ってきて困りました・・・

ホテル隠岐さんを紹介する地元のサイトもありました・・・よろしければどうぞ♪

oki.nishinoshima.com

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1階の食堂で朝食をいただいた後(写真なくてごめんなさい!美味しかったです!!)

ジェットフォイルに乗って、島後へ向かいます。

1時間ほどで島後の西郷港に到着です。

まずはバスで、隠岐一の宮の「水若酢(みずわかす)神社」へ行きました。

敷地には資料館や闘牛場がありました。

資料館では竹島の歴史も展示されていました。当時は隠岐から人が渡っていたとか。

隠岐は闘牛も有名です。一度、見てみたいと思いました。

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本殿は静かでありました。

朝も早かったからか、誰一人いませんでした。

バス停はちょっとユニーク。手作り感があります。

隠岐は島前もそうですが、少し島の中に入ると田畑が広がります。

昨日の運転手さんも、「耕地面積は相当あるよー」と言っていたっけ。。

島の奥へ行くと、海が見えないので、島にいることを忘れてしまいそうになります。

バスが来るまでの間、川のそばのバス停で田んぼをぼぉ~と眺めていました。

水若酢神社の紹介(隠岐の島町観光協会のHPから)もどうぞ。。。

oki-dougo.info

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次に向かったのは隠岐国分寺跡。

後醍醐天皇の行在所とも言われていますが、西ノ島にも黒木御所があり、どちらなのか

論争があると伺いました(ただ、ここは海から離れているので、西ノ島ではないかなぁ

~と個人的には思うのですが・・・さてはて)

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小さな資料館があって、後醍醐天皇の説明がいくつか。

島前もそうですが、いろんな皇族の方々が隠岐には来られているのですね。

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次は歩いて30分ほどのところにある(暑かった・・・)、玉若酢神社とその神職

ある億岐(おき)家のご自宅へ伺いました。

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隠岐という名の由来でもある億岐国造の末裔の方(!)がお住まいです。

大国主命の末裔でもあり、お隣にある玉若酢神社の神職を代々務めてきました。

出雲大社の神官、千家家と同じくらい古い家柄です(ちょっとビックリ!)。

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かやぶき屋根のご自宅も見事ですが、ぜひ訪問してほしいのが、隣にある資料館。

奈良時代に作られた駅鈴が今も現存しており、見ることができます。

高いリーンという音も聞くことができます。

使者の到着を知らせる駅鈴の音はとても澄んだ、高い音で、この音なら遠くからでも

聞くことができるかな?と思いました。

駅鈴はこんなイメージです。

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同じく隠岐の島町観光協会のHPもどうぞ。

oki-dougo.info

資料館は億岐家の奥様にご案内していただきました。

奥様、埼玉県ご出身だとか。

慣れない土地で最初は大変だったこと(古いしきたりもあることでしょう)、茅葺きの

取り換えはとてもお金がかかって大変なこと(なので、資料館は有料(300円)です)

億岐家住宅は重要文化財にも指定されています。

家を守るというのは大変なことですよね。

ワタクシ、東京から来たんですよーと話したら、ちょっと嬉しそう。

話が盛り上がってしまいました。。。

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億岐家の奥様にお礼を申し上げたあと(奥様、本当にいろいろありがとうございまし

た!)、歩いて西郷港へと向かいました。

途中に何か所か、古い城跡もありました。

本土から離れているのに、城が果たして必要なのか?とも思いましたが、

土地は広いですからね・・隠岐国内でもいろいろあったのでしょう。

 

少し遅めのお昼を摂りました。

隠岐そば」という郷土料理があるとのことで、

港から近い味乃蔵さんでいただきました。

隠岐そばとは

隠岐そばは、つなぎの小麦粉を使わず、そば粉だけで作るため、箸上げが難しいほど

 切れやすいのが特徴です。出汁(だし)は、焼サバから取り、薬味には岩のり、

 ねぎ、ゆず、いりごまなどがのせられます。冠婚葬祭や新年会など、人が集まる時

 には必ず振る舞われている隠岐の伝統料理で、かつては、各家庭にそばを打つため

 の練り鉢があるほど、身近な味でした(島根県HPより)」

というものだそうです。

面白い触感ですね(そばが切れやすく、お茶漬けに近いかも・・)。

美味しゅうございました!

tabelog.com

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帰りは隠岐空港から伊丹空港へと、ひとっ飛び!

小型プロペラ機でしたが、1時間半で到着!

まとめにも記載がありますが、はるばる電車、バス、船と乗り継いで来た、

行きの8時間かかった行程を思うと、「あれ?もう着いたの・・」という感覚でした。

タイムトラベラーって、こんな感じなのかな?とか思ったり。

まぁ、時間を買ったわけで、その分、足は出ましたが・・・

(空の眺めは良かったです!)

・・・ここまで・・・ 

 

隠岐のような離島は、行けるときに行っておかないと、

なかなか行く機会はないだろうなぁ~と思っていました。

 

個人的に「迷ったらGO!」「やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい!」

というタイプなものですから、今回思い切って、隠岐へ向かった次第です。

(ちょうど米子に用事がありましたので、「チャンスだ!」と思いまして(ニコニコ)

 

古い土地柄でもあり、また、古来から流刑地であった…という歴史から、

後鳥羽上皇後醍醐天皇に関わるものをはじめ、様々な史跡がありました。

(どの史跡も地元の方によって、大切に維持管理されていたことが印象的でした)

竹島隠岐にはかつて交流があり、隠岐から多くの方々が竹島へ渡っていたことも、

現地へ行って初めて知りました(島後にある資料館は参考になります)。

 

隠岐の方々は親切で気さくな方が多かったですね。

いろいろ話をお聞きすると、丁寧に教えてくださいました。

 

ワタクシ、海を眺めてぼおーとするのも大好きなので、

国賀海岸、明屋海岸を始め、短い時間ではありましたが、

のんびりすることができました。

癒しの機会をいただき、また、皆さまとのご縁にも感謝の気持ちでいっぱいです♪

(「よっしゃ!がんばろう~」と、元気をもらいました!)

 

今回上陸できなかった知夫里島にも、いつか行ってみたいですね。

 

今回は、1泊2日の隠岐諸島への旅の紹介でした。

また機会がありましたら、旅の思い出に触れたいと思います。

 

ではでは! 

最後までご覧いただいてありがとうございます! お礼申し上げます!!  

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