げんさんのほげほげ日記

その日に感じたことや、これまで考え続けてきたことなどを 徒然なるままに綴っております(雑話的なブログです)。 好きな読書を通じた、こんな本もありますよ~といった紹介や、 これまでの旅の思い出などにも触れていけたらな、と思っています。 (ブログの機能なども日々勉強中!)

後三年、八郎潟、そして新屋海浜公園にて夕陽を眺める!

新屋海浜公園にて…久しぶりに海面へ沈む夕日を見ることができました

今日の東京は晴れたり曇ったり…。

最高気温は34度と相変わらず蒸し暑い日々が続いております。

台風10号は迷走していますね…。

関東直撃!なんて最初マスコミさんは騒いでいましたが、

ふと気づけば九州・奄美から北上するルートになってしまい…。

昔もこんな風に西へ向かう迷走台風さんがいらっしゃいましたけれど。

予報とは…過去の数値からの予測なので、これだけ温暖化が進むと

なかなか難しいところもあるのかもしれませんね。

それにしても台風大きくなりすぎのような…少しでも被害が少なくなることを

願ってやみません…。

(これから収穫の時期でもありますし…学校も始まりますし…)

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北海道から東北、秋田へと…旅もそろそろ終盤へ。

本日は前回からの旅の続き…

平安時代に起きた戦、後三年の役の舞台である、その名のとおり”後三年”を歩き…

その後、干拓で有名な”八郎潟”を訪ね…

最後に、雄物川河口にある新屋海浜公園にて沈む夕日をぼぉーと眺めた…

そんな一日をご紹介したいと思います。

昔、「炎立つ」という大河ドラマがあったことをご存じでしょうか。

(1993年7月から1994年3月にかけて放送されました)

奥州藤原氏の歴史を綴った大河で三部構成に分かれていて、第一部で前九年の役

第二部で後三年の役が取り上げられました。

前九年の役源頼義とともに安倍氏を滅ぼし、奥州の覇者となった清原氏

その後清原氏に内紛が起き、頼義の子、源義家ともに戦い、奥州藤原氏の開祖と

なった清原(藤原)清衡を描いた物語でありました。

第二部の最後、後三年の役の舞台となったのが、その名のとおり、後三年。

以前から訪ねたい土地で、今回やっと訪ねることができました。

⇒後三年という名前の土地が今もあるのですね~♪

炎立つ、ワタクシ大好きなドラマだったのです…あぁ、迫力ある大河をやって

 もらいたいものです…あ、つぶやき煩いですね…はい、すみません!)

秋田駅から各駅電車で1時間10分ほど。後三年駅に到着しました。

(降りたのはワタクシたちだけでした…あっ、今回は息子さんも同行しました)

向かうは後三年の役の古戦場跡。いざ、行かん!

駅舎には後三年の役を紹介するいろんな案内看板がありました。

まずは平安の風わたる公園を目指します。

その後、金沢資料館、時間があれば金沢柵(城)址にも寄れたら…。

後三年駅は無人駅。可愛らしい駅舎でありました。

8月の熱ーい日差しが降り注ぎます。目指す公園の方向をパシャリ♪

さぁ、歩いていくぜよ!

おっと、その前に…駅前にどーんと大きな看板がありました。

列車に乗っていると、この看板が良く見えて気になっていたのです~。

後三年の役の最終決戦の地。

戦うは「源義家清原清衡」 VS「 清原家衡&武衡」

清衡と家衡は母と同じくする兄弟でありました。

さぁ、では決戦の舞台を巡りますかー。

遮るものは何もなく…朝からぐんぐん気温が上がっていきます…

駅から歩いて15分ほどでしょうか…雁の里山本公園に到着。

日帰り温泉施設やキャンプ場などがあります。

美郷町さんの案内看板もありました。まずはキャンプ場を抜けて、平安の風わたる公園

へと向かいましょう。

キャンプ場のそばには沼がいくつか…。

キャンプ場から続く小道を進むと…

竪穴住居跡が…縄文時代中期の史跡とのこと。古来より豊かな土地だったのですね。

おおっ、岩国の錦帯橋のような橋が…ではまいろうぞー♪

登ったり下ったり…あぁ、何だか錦帯橋を訪ねた日を思い出しました…。

橋の向こうが平安の風わたる公園になります。

大きな沼…その名は西沼。

後三年の役の折り、源義家一行がこの辺りを進んでいると、西沼の上を飛んでいた雁の

群れ(一行)の列が乱れたとか…。

義家公「雁行が乱れるとは…このあたりに敵の伏兵がいるに違いない」と見破り、

隠れていた敵をさんざん打ち破った…との謂れが伝わっています。

”雁の里公園”の名はその逸話から名付けられたのだそうです。

橋を渡ると公園の敷地に…こちらは公園の入口です。

(実は最後に通ったのですが、こちらの入口からご紹介します♪)

公園を紹介する案内看板がありました。

平安時代のお話を令和の世に伺う…この国の長い歴史を感じます。

それではいざ公園の中へ…。

壁画のリリーフがありました。

このような時代が本当にあったのですね…。

壁面には戦のシーンが描かれていたり…

戦についての説明も…あっ、先ほどの雁行の乱れですね♪

大河ドラマでは清衡役に村上弘明さんが、家衡役に豊川悦司さん(結構好きでした)

義家役は佐藤浩市さんが演じていました。(キャスティング良かったなぁ~)

義家の弟、義光が参戦したり、また清原一族の吉彦秀武(きみこのひでたけ)が清衡側

につき兵糧攻めを進言するなど(古来初めての兵糧攻めだったそうです)の結果、

家衡方が籠る金沢柵(城)は落城、清衡側の勝利となりました。

公園の中央には見つめ合う4体のブロンズ像が…。

藤原清衡公…大河では父親の藤原経清役を渡辺謙さんが演じていましたなぁー。

源義家公…河内国の義家公のお墓を訪ねた日を思い出しました。

家衡公の像は小柄でした。大河で最後引き据えられていく豊川悦司さんが大泣きしな

がら「兄者ぁぁー」と叫んでいたのを思い出す…(懐かしい~♪)。

清原武衡公…力強い表情。最後は自領の金沢柵での籠城戦に追い込まれました。

広場から遠くを眺めて。ここも戦場になったのでしょうか。

かつてのいくさ場も今は広場に…国滅びて山河あり…城春にして草木深し…。

さすがに暑いですね…そろそろ行きますか。

息子さんが蛇口の水を頭からかけて…暑ぃーと叫んでいるぞーい😊

(この公園も訪ねたかったのです。今日はありがとうございました!)

次は後三年合戦金沢記念館へ向かいましょう。

風わたる公園を出てすぐのところにも別の公園が…。

立馬郊…義家公が雁行の乱れを見破ったのはこのあたりなのかしら??

まもなく収穫の時期ですね。平安の世、この辺りはどのような風景が広がっていた

のでしょうか…沼や湿地が入り組んでいたのかしら…想像するだけでも楽しいです。

今日はひたすら徒歩ですね~同行している息子さんが暑さでヘバっております😊

(この暑さ…ふふふ、雪中行軍ならぬ暑中行軍ですな…)

国道13号線に出てしばらく北上します。歩いていると、右手に金沢柵があった山並み

が見えてきました。

後三年合戦資料館に到着しました!後三年駅からここまで50分ほど歩いたでしょうか

汗もうだらだらですー。

資料館の入口に地図がありました。資料館の裏手、金沢柵を含む一帯を金沢公園として

整備したのですね。

www.city.yokote.lg.jp

こちら、資料館のHPです。入館料はひとり100円。4館共通券となっていて、

こちらの資料館の他、横手市に縁のある石坂洋二郎文学記念館、横手城展望台、

かまくら館も観ることができます。

早速資料館へ…中に入るとクーラーが効いていて気持ちいいー!

受付にはニコニコ笑う元気なおばさまが…

おばさま「どちらからいらしたのですか。お車ですか」

ワタクシ「電車です。後三年駅から歩いてきました」

おばさま「ええっー!この暑さで歩いてきたんですか~どれくらいかかりました?」

ワタクシ「50分ぐらいですかねー」

おばさま「どうぞゆっくりなさってくださいー」

はい、クールダウンさせていただきます😊😊

資料館の展示室はこじんまりとしていました。

(部屋全体を撮れば良かったです…暑さでクラクラきていたかな?)

こちらは後三年合戦絵巻。不出門外…と箱に書かれていました。

こんな屏風や…。そして壁一面に後三年の役の話や清原氏の歴史が紹介されていました

ちょっと写真が続きますが、このような展示がありましたよー。

後三年の役清原氏を取り巻く情勢…その歴史がよくわかりました)。

安倍宗任の娘が藤原秀衡の母親…安倍氏奥州藤原氏のつながりも深いのですね。

出羽国は清原一族の本拠地でありました。

陸奥国出羽国と京は意外と近しい関係だったのでしょうか…。

平安時代、ここ奥州では城のことを”柵”と呼んでいました。

清原一族の人物の紹介も…大河ドラマでもいろんな方が出ていたなぁー。

大河では真衡役は亡くなられた萩原流行さんが演じていました。怪演だったなぁー♪

蟹江敬三さんが演じていた吉彦秀武。そんなおじさんだったんだろうなぁーと

感じさせる素敵な演技をなさっておられました。

人物紹介はここまで。

沼柵の戦いで一度は家衡・武衡軍は義家・清衡軍に勝利しますが、その後の戦況は

清衡側に有利に進んでいきます。金沢柵に籠った家衡・武衡軍を攻めあぐねましたが、

吉彦秀武が提案した兵糧攻めの結果、ついに金沢柵は陥落、家衡らは斬首となりました

その後源義家陸奥守への就任を希望したものの、朝廷からは伊予守を任じられること

となりこの地を去ることになります。

大河では陸奥の金を使って朝廷に根回しした清衡が義家を体よく追っ払ったシーンが

描かれていました。実際もそんなところだったのかもしれませんね…。

こうして清衡は陸奥・出羽の両国を支配する立場となり、姓を父方の藤原へと改名し、

ここから奥州藤原氏の躍進が始まることとなります。

資料館の一角に佐竹義重公の甲冑も展示されていました。小柄だったのでしょうか…。

さぁ、涼みましたし、展示物も拝見しました。

そろそろまいりますか。

受付のおばさまが「行かれますか?」と笑顔で玄関まで見送ってくれました。

「山へ行ってきます」とワタクシが言うと、”帰りも寄ってください!”と

嬉しそうでした。

大河ドラマから随分時が経ち、訪ねる人も少ないのかな…そんなことを想いました。

 今日はありがとうございました!!)

今回もうひとつ訪ねたかったのがこちら、谷口菓子店。地元でも美味しいと評判のお店

ケーキがおススメだとか…今回はパウンドケーキを買いました。これだけのボリューム

で何と600円!

東京に戻ってからいただきましたが濃厚なお味で美味しかったです。

ご年配のおじいさんが営まれているご様子でした…どうか頑張ってほしいです!

本当はこの後金沢公園から道を登って、山の上にある金沢柵を訪ねようと思っていまし

たが、息子さんが暑さでヘロヘロになっているのと、何だかクマさんに会いそうな予感

がしたので(こういう第六感は当たるんですよね…)、今回はここまでとすることに

しました。

何かいそうな予感…まぁまたの機会にしましょうかねぇーてへへ♪

金沢公園前にバス停がありました。大曲駅と横手駅を結ぶルート。

時刻表を見たら、もうしばらくすると横手駅行きのバスが来そうでしたので、

バスで横手へ向かうこととしました(これを逃すと、次は2時間後…)。

息子さんが「バスがなかったら、今来た道を駅へ戻るつもりだったのか」と聞くので、

「最初はそのつもりだったよ~♪」と話すと、「ひゃぁー!」と叫ぶ息子氏。

ふふふ…良かったな、バスで…。若者、鍛えたまへ~~😊😊

バスに乗ること20分ほど…横手駅の手前で途中下車しました。

バス停近くに横手の街を紹介する看板さんが…。

横手といえば、かまくらですよねー。大きいかまくら、一度入ってみたいです♪

こんな案内看板も。江戸時代初期、本多正信の息子、正純が宇都宮釣り天井事件で失脚

した後、横手城預かりとなったのですね…。

(横手で亡くなられていたとは…知りませんでした)

送り盆まつりの屋形舟が飾られていました。

(訪ねたのは祭りの前でしたので、この屋形舟さんも使われたのでしょうか…)

はい、本日のお昼はこちら、もりや食堂さんで。横手焼きそば、初めていただきます♪

しばらく待つこと…焼きそば到着です!今回は大盛り。写真ではわかりづらいですが、

皿の底に黒いソースがいっぱい沈んでおります。かき混ぜながらいただきまーす。

(麺は太め…コシもあって美味しかったです。地元の皆さんが多く来られていました。

 席は満席。危うく待つことになるところでした…)

お店から横手駅までは歩いて15分ほどでしょうか。

後三年から横手への旅。

いろいろ歩いたー!歴史も感じたー!やきそばも美味しかったー!

時計を見るとただ今、午後13時。

まだ時間があるので、もう少し巡りたいなぁーということで、

秋田の北、八郎潟を訪ねることにしました。

横手駅から各駅電車で再び秋田駅へと戻り、北へ向かう電車に乗り換えました。

(同行していた息子さんは用事があったので秋田駅で別れました)

本来、八郎潟を訪ねる予定ではなかったので、秋田への道中で最寄り駅を調べると、

八郎潟へ行くには井川さくら駅が一番近そうでした。

このまま井川さくら駅まで行って、駅から歩きますか!

八郎潟はかつては琵琶湖に次ぐ広さを持つ湖でした(22,024haの面積があったとか…)

戦後の食糧不足の解消、働く場所のない農家の次男・三男への就業などを目的として

1957年に干拓事業がスタートしました。

その後農業技術の向上、高度経済成長による就業環境の改善など、世の中の動きには

変遷がありましたが、干拓事業は20年後の1977年に終了。

湖の約8割が農地へと生まれ変わりました。

八郎潟は…今はかつての湖の南東部に”八郎潟調整池”として、その一部が残っています

井川さくら駅に到着しました。こちらの駅が一番今の八郎潟に近そうでしたので…。

きれいな駅でありました。ワタクシの他にも下車した方は多かったです。

(おうちに帰るのかしら…?)

駅から湖まで…歩いて1.5キロといったところでしょうか。

さぁ、まいりましょうー!(今日はよく歩いているなぁ~♪)

駅から湖までまっすぐな道が!遠くに見えるのは男鹿半島の寒風山です。

田んぼの稲穂がきれいでした。広い空…広がる大地…あぁ気持ちいいです♪

駅から歩いて25分ほど…橋の上から湖が見えました!

ズームアップ!どこかに湖に近づけるところがないかなー。

…ところがここから苦労しました。道はあるのですが、緑が生い茂っていて、

湖畔に行けない!こんな暑いのに藪こぎはしたくない!!

目の前にあるのになぁ…うーん。

最初は川の南側の道をうろうろ…湖畔に行く道がないので断念して、

今度は川の北側、今戸排水機場の先を行くと…。

土手道を上がって、湖を眺められる場所を見つけました!目の前に寒風山さんが♪

南の方向をパシャリ!結構広いです、八郎潟調整池!!

干拓前の八郎潟はどれだけ広かったことだろうか…。

いやぁー、頑張って来た甲斐がありました。日差しも強くてお肌焼けまくりでしたが…♪

しばしぼぉーと眺めておりました。八郎潟に来たのは初めてですので結構感動…😊

湖畔には降りられませんでしたが、目の前に広がる八郎潟を見ることができて満足です

排水機場の近くに干拓の碑がありました。

20年に渡る干拓事業の総事業費は852億円。

減反政策などもあり関係者の方々のご苦労は大変なものがあったことと思います。

八郎潟干拓を紹介する秋田県のHPを見つけました。よろしければどうぞー。

www.pref.akita.lg.jp

さぁ、そろそろ駅へと戻りますか。

日差しは強かったですが、爽やかな風が吹いていて気持ち良かったです。

いやぁー、何だか目に優しいです~。

歩いてきた方向をパシャリ♪ 本日はありがとうございましたー!

井川さくら駅まで戻ってきました。駅前に井川町の案内看板さんが…。

八郎潟に近いのは八郎潟駅ではなく、こちらの井川さくら駅だったようですね~)

時計を見ると、日暮れまでまだ時間があるなぁ…ふふふ、もう一か所行けますな♪♪

夕陽をぼぉーと眺めたいなぁ…と思いまして、今の時刻は16時過ぎ。

グーグルマップで探して選んだのは、新屋(あらや)海浜公園。

秋田駅から2駅先の新屋駅から歩いていけば何とか夕日に間に合いそう!

(またまた歩くなぁ…ほほほ)

新屋駅から新屋海浜公園まで歩いていきましたぞー。頑張れ、ワタクシの足~♪

国道7号線を渡る橋の先が公園の入口になります。

駅からここまでてくてく歩いて30分ほど…結構歩いたー♪

しばらく歩くと、シュン!シュン!と何かが回る音が…大きな風車さんでした。

目の前で見ると迫力あります。秋田県は風が強いお土地柄。風力発電の風車が多く、

海沿い、山の上に並んでいるのをよく見かけます。

まもなく海岸…っと、その手前に不思議なオブジェさんが。

地元では有名なモニュメントさんだそうです。

1993年に設置されました。ももさだ…というのはこちらの旧地名”百三段(ももさ

だ)”から命名されたのだとか…。

(何だか温かく感じるカエルさんでありました。浜はきれいにしたいですねー♪)

着いたー!海岸だー!日が沈む前に着くことができました。

(新屋海岸は以前は海水浴場でしたが、流木やごみなどの漂着物が増えてしまい、

 泳げなくなった…という話を聞いたことがあります)

雄物川の河口…そして並ぶ風車たち…不思議な光景でした。

南側をパシャリ♪ 釣りをされている方がちらほら…(何が釣れるのかな?ルアーかな)

振り返って、先ほどの風車を…大きいですねー。

あ、手ごろな流木さんが。皆さん、椅子として使っていたのかな。

ワタクシもちょこっとお借りすることにしましょう(座って夕陽を見たいですし♪)

海を眺めてコーヒーブレイク♪ 余は満足じゃ😊

ザザーン、ザザーン…打ち寄せる波。ただただぼぉーと眺めるひととき…。

徐々に日が落ちていきます…遠くに見えるは男鹿半島の寒風山。

南の方を振り返ると、遠くに鳥海山が見えました。いつか登ってみたいなー。

いやぁ~めっちゃきれいですー。

いったん雲をくぐり、やがて海面へと沈んでいきました…。

ぼぉーと眺めていると、そのうち何も考えなくなる時が来たりします。

人の脳はそのような”無”ではないですが、カラッポになる時間が必要なんだそうです。

睡眠はその役割を担っているとか…そんな話を何かの本で読んだことがあります。

久しぶりに夕陽を眺めたなぁ…本当は空に星が出るまでここに居たいなぁ…と

思いましたが、帰り道が鬱蒼としていて、何か出てきそうな気がしましたので

駅へと撤収することにしました。

(真っ暗になって、公園の入口までの道のりがとても遠く感じました。クマさんが

 出たらどうしよう~と怖くなったので「通りますー!」「通りまーす!」と

 大声を出しながら歩くげんさんでありました…あはは…。

 ⇒そばを何台も車が駆け抜けていき…あぁ、ワタクシも乗せて~何度思ったか♪♪)

新屋駅まで戻ってきました。帰りも40分ほど歩いたでしょうか。

本日はほんによう歩いたなぁ…さすがに足がパンパンになってきました。

秋田駅に戻ったのは午後9時前。ここで再び息子さんと合流し、駅前の人気店、

末廣ラーメン本舗さんで一緒に晩御飯を食べました。

先に来たのは半チャーハン。ラーメンとセットです~♪

ラーメン登場!お肉いっぱい、濃厚なスープが美味しゅうございました。

午前3時まで営業している人気店。9時過ぎでしたが、カウンター、テーブルともに

満席でありました。

今回もよく歩いたなぁ…。いい運動になりました。楽しい一日でした。

自然、歴史、そして人との出会い、感動と感謝ですね…旅はいいですね…。

翌日はついに秋田を離れ、東京へと向かいました。

そのお話はまたの機会に…。

本日もたくさんの写真、長い紹介となりましたが、最後までご覧いただき

ありがとうございました。

(北海道から秋田へと巡る旅、次が最後のご紹介になると思います)

 

今日は秋田での一日…後三年、八郎潟、新屋海浜公園への訪問を懐かしんだ一日でした

 

ではでは!

最後までご覧いただいてありがとうございます! お礼申し上げます!!  

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