げんさんのほげほげ日記

その日に感じたことや、これまで考え続けてきたことなどを 徒然なるままに綴っております(雑話的なブログです)。 好きな読書を通じた、こんな本もありますよ~といった紹介や、 これまでの旅の思い出などにも触れていけたらな、と思っています。 (ブログの機能なども日々勉強中!)

旅の思い出~その34~遠江国を巡った小さな旅…(三方ヶ原古戦場、井伊直虎・直政の故郷・井伊谷(いいのや)、山内一豊の出世城・掛川城を訪ねて…)

井伊谷城の本丸跡から街並みを眺めて…遠くには浜松駅の高層ビルが見えました

東京も晴れ間が戻ってきました。

東海地方まで梅雨入りして、関東地方も時間の問題かな…と思いましたが、

しばらく待つことになりそうですね…。

梅雨入り前にどこかへ出かけたいなぁ…あ、でもちょっと難しそう♪

そう思うと無性に旅に出かけたくなります。

はい、そんな気分のときは以前旅した思い出に浸るのがいいですね…。

ということで、久しぶりに旅の思い出をご紹介したいと思います。

今回は4年前に訪ねた遠江国の史跡を…

徳川家康武田信玄に敗れた三方ヶ原の古戦場、

井伊直虎井伊直政…井伊家発祥の地、井伊谷

そして山内一豊の出世の糸口となった掛川城

大河ドラマの舞台となった故地を訪ねた旅をご紹介したいと思います。

とある日、天気がよい朝…早起きしたワタクシは気が付いたら、

東京駅から新幹線に飛び乗り、一路浜松駅を目指しておりました。

(昔からこうして飛び出してしまうことが多いのですよね…テヘヘ♪)

まず目指したのは三方ヶ原古戦場。

浜松駅からバスで30分ほど乗ると、三方原墓園バス停に到着します。

三方原墓園の一角の…

バス停を降りてすぐのところに、三方原古戦場の碑、そして三方ヶ原の戦い

紹介する看板がありました。

本当のところ、どうして家康公は出陣されたのでしょうね…。

しかも夕暮れに近い時間に戦を始めるなんて…。

当時の両軍の動きを紹介する看板もありました。甲斐から遠江まで軍を率いてくる

のは色々大変だったのではないかな…。

三方ヶ原の戦いでは両軍の兵数に差があったのは事実だったようです。

結果はご存じのとおりで、徳川軍は大敗しました。

しかしながら、武田軍も家康公が籠城する浜松城を落とすほどの兵数もなく、

戦は膠着状態に…その後、武田軍は西へと進路を変えることとなります。

一説によると、織田の1万人以上の援軍が吉田城(今の豊橋)などに来ていたため、

全力で城攻めをできなかった…という理由もあったとか。

この後、信玄公は豊橋の北、野田城で動きを止めますが、それは織田の大軍が行く手を

遮っていたから…なのかもしれません。

(勿論、信玄公自身の体調もあったのかもしれませんが…)

家康公も織田の大軍の支援(後詰)があったからこそ、三方ヶ原へ突撃していった

のかもしれませんね…。

今では住宅地の一角に碑が残るだけですが、当時は多くの兵たちが歓声を上げて

行き交った場所なのでしょうね…。

夏草や兵どもが夢の跡…といった感じでしょうか。

耳を澄ますと、往時の声、音が聴こえてきたりして…なんて想像してしまいます。

さぁ、バスがやって来ました。次なる目的地の井伊谷を目指しましょう。

三方原から井伊谷までバスに乗って、20分ほどで到着しました。

まずは井伊家菩提寺龍潭寺(りょうたんじ)へ向かいました。

井伊家が彦根へ移った後、彦根に建立したお寺さんも同じ”龍潭寺”だったりします。

龍潭寺の境内の案内図がありました。それではまいりましょう!

まずは山門をくぐって…(おじゃまいたします!)

こちらが仁王門。堂々とした造りであります。

仁王門を抜けると、正面に本堂が見えました。

井伊谷龍潭寺も庭が美しいことで有名です。

梵鐘もありました!いい音が鳴りそうです♪

井伊直政公の出生の碑がありました。直政公は井伊谷で生まれたのですね。

井伊の赤備えは武田軍の山県昌景隊の赤備えを受け継いだものであります。

龍潭寺南北朝時代南朝方、宗良親王菩提寺でもあります。

本堂へ向かう入口。こちらで拝観料を支払います。大人500円です。

こちらの素敵な通路を進んだ先が本堂になります。

本堂は広いです…ちょうど団体客のご一行さんがいらしてました。

ワタクシもお参りいたしました。

向こうに見えるのが、先ほど通った仁王門です。

庭の白砂がとてもきれいでした…毎日整えておられるのでしょうね。

本堂の奥が国指定名勝、龍潭寺庭園です。江戸時代初期、小堀遠州が手掛けました。

縁側に座って、しばらく眺めておりました。

(庭園は広すぎて一枚の写真に収まらないです…)

この日も庭師の方々が庭園の掃除をしていました。大切にされているのですね。

団体客さんのために、お坊さんが庭園の謂れを紹介していました。

ワタクシもご相伴に預かりました…(ラッキーでした♪)

彦根龍潭寺も訪ねたことがありますが、井伊谷龍潭寺も静かなたたずまいで

落ち着く場所でした。

龍潭寺さんのHPはこちらです。よろしければご覧ください。

www.ryotanji.com

次に本堂の隣にある井伊家歴代墓所を訪ねました。

南北朝時代遠江国南朝方の井伊家が優勢でしたが、南北朝合一の後は、

北朝方であった今川家が徐々に勢力を広げていき、井伊家より優位に立つようになり

ました。その結果、井伊家は今川家に臣従するようになります。

以前放映された大河ドラマ「おんな城主直虎」でも井伊家の苦労が描かれていました。

初代共保公から24代直政公までのお墓が並んでいます。

直政公以降の彦根藩井伊家の方々の墓所は東京都の豪徳寺にあります。

更に奥へ進むと、宗良親王の陵墓がありました。

井伊家が宗良親王の菩提を弔ってきたのですね…。

宗良親王陵墓のお隣りには小さなお社がありました。

親王と行動を共にした井伊家の祖のお二人を祀るお社でした。

そしてお隣りの井伊谷宮に到着しました。こちらは拝殿です。

宗良親王を祀るお宮さん。明治5年、明治天皇の思し召しにより建立されたそうです。

親王後醍醐天皇の第四皇子でした。往時、比叡山天台座主でありましたが、南北朝

対立が深まるなか、親王は還俗し一品中務卿征東将軍としてこの地に赴いたといわれて

います(少し北にある長野県大鹿村を長年根拠地にしていたとか…)。

境内には親王が詠まれた和歌が紹介されていました。

親王の母方が歌道を担う二条家出身ということもあり、幼い頃より和歌を嗜まれていた

そうです。南朝方の選者として新葉和歌集の編纂にも携わりました。

厳しい時勢が続く中、和歌を心の拠り所とされておられたのかも…そう感じました。

さぁ、そろそろまいりますか…。今日はありがとうございました。

参道の入口となる鳥居までやってきました。

お宮さんの方を振り返って…龍潭寺から井伊谷宮を裏手から入り、ぐるっと巡って

きたことになります。

本来はこちらがお宮さんの入口になります。龍潭寺は更に奥になります。

井伊谷宮さんのHPがありました。よろしければご覧ください…。

www.iinoyaguu.or.jp

晴れて良い天気でした。井伊谷宮のそばの神宮寺川を遡っていくと…

渭伊(いい)神社に到着しました。

渭伊神社を紹介する看板がありました。日本三代実録貞観八年…古社ですね。

先程の龍潭寺内にあったそうですが、南北朝の動乱時にこちらへ移されたようです。

本殿の裏手に磐座(いわくら:大きな岩)があることでも有名なのだそうです。

早速行ってみましょう!

本殿の隣には大きな杉の木がありました。古木だ…♪

急な坂を登って…

小さなお社が見えてきました。

遠くに何やら大きな岩が見えてきました。足元の木の根が凄い!

磐座に到着!しかし大きい…どうしてここに…。昔からここにあったのか、それとも

どこかから運ばれたのか…。

天白磐座遺跡はパワースポットとしても有名だそうです。

訪ねたときはワタクシひとり…確かにオーラといいますか、迫力を感じました。

はるか昔、こちらでどのような神事が行われたのでしょう…。

この国にはまだまだ未知の世界があるんだなぁ…そんなことを思いました。

パワーをいただけたかな…さぁそろそろ戻りましょうか。

敷地内にはこんな可愛らしい看板も…ムササビさんがいるのですね♪

野生のムササビさんは見たことないなぁ…一度見てみたいです。

ワタクシ、大河ドラマ「おんな城主直虎」が大好きだったんですよね。

はい、ハマっていました。ドラマの中で井伊家の国衆として奥山氏が出ていましたが

その領地が井伊谷に近いということでバスに乗って訪ねてみました。

奥山の集落でバスを降りて…井伊谷に戻るバスの時刻を見ると30分後。

(乗ったバスが戻って来るのか…いかんせん本数が少ないので要注意ですね♪)

バス停近くの奥山神社を訪ねることにしました。

こちらが入口ですね。

更に進むと、立派な杉がお出迎え…しかし階段が急!(ゆっくり行くべし…)

振り返って、奥山の集落を望んで…いやぁ~長閑ですねー。こういう雰囲気大好きです

階段を登った先に本殿がありました。本日の訪問に感謝を申し上げました。

晦日には人で賑わうのでしょうか…。

あっという間にバスの時刻が迫ってきました。慌ててバス停へGO!

奥山地区は静かな集落でした。

(人に全然出会わなかったぞーって、30分間の訪問だったからですよね、きっと…)

再び井伊谷に戻ってきました。

街を散策していると、とある建物の前に小野屋敷跡地との看板が…。

おおっ、大河ドラマ高橋一生さんが演じていた小野但馬守正次の屋敷跡ですね。

直虎役の柴咲コウさん、政次役の高橋一生さん、そして亡くなられましたが、

井伊直親役の三浦春馬さんの三人の絆がうまく描かれたドラマでした。

懐かしい…あの頃のような大河ドラマを作ってくれたらなぁ…あ、ひとりごとでした♪

少し待つと、更に北にある井平集落へ行くバスが来るようなので、訪ねてみる

ことにしました。

バス停の近くに内山製菓さんというお菓子屋さんがありました。

お昼を過ぎて、そう言えば何も食べていなかったなーということで…

こちらでは、”みそまん”が名物だそうで…速攻ゲットです。

パカッとふたつに割るとこんな感じ…濃厚なお味で美味しかったです。

バスにしばらく乗って…終点の井平に到着しました。少し散策してみませう~。

井平集落の案内看板がありました。いろんな建物があったのですね…。

井平集落より更に北の方へ向かうと、直虎でも出ていた久留女木の棚田があるのですが

流石に遠すぎて、今回は行けませんでした(いつか行きたいなぁ…)。

このあたりの方々はどんなお仕事をなさっておられるのでしょうね…。

どの土地もそうですが、代を重ねて分家を作り、一族で支配する地域を広げていった

のですよね…。井伊直虎のおばあさん、ひいおばあさんは井平出身だったのですね。

往時はここで何人ぐらい暮らしていたのかな…と想像するのも楽しいです。

さぁ、そろそろ帰りのバスの時刻が近づいてきました。

井平バス停まで戻ってきました。

そう言えば、この前見ていた西園寺さんの動画(稚内から枕崎まで路線バスでの旅)

でも井平バス停が出ていました。ここから北へと西園寺さんは歩いていきましたね…。

あっ、バスが来ました。再び井伊谷へ戻りましょう!

(バスの写真を撮っておけばよかったです。実は井伊谷から井平への路線は昨年廃止と

 なってしまいました…最近このようなお話が増えているような気がします…)

井伊谷に戻って、最後に街の北側にある井伊谷城跡に登りました。

井伊谷城跡は標高115m。ゆるゆる登っていきますか…。

こちらが入口。坂は結構急な箇所があります。入口には直虎の杖なるものが

何本か置かれていました。

15分ほど登ると、頂上に到着しました。本丸跡なのかな…少し開けていました。

城跡から井伊谷の街並みを眺めて…いい景色でした。

城跡には井伊谷を紹介する案内看板がたくさんありました。空撮写真や…

直虎ブームのときは多くの方が訪ねたそうですが、ワタクシが訪問したときは

ブームがひと段落した後…再び静かな井伊谷に戻っておりました。

この井伊谷で井伊家が奮闘し、直政へと家を繋いだことによって、彦根藩

誕生したんだなぁ…と思うと、何か感慨深いものを感じました。

今日は井伊谷をじっくりと巡ることができました。

大河ドラマを見て、一度訪ねてみたいと思っていました。

戦国時代だけでなく、古代から続く古いお土地柄だったのですね…勉強になりました。

最後に井伊谷を紹介する看板がありましたので、ご紹介します♪

本日最後に訪ねたのは掛川城

井伊谷から浜松までバスで戻って、東海道線掛川へ。

掛川駅からは歩いて10分ほどです。

立派なお城が見えてきました。東海道新幹線に乗っていると、いつも見えるお城…

いつか訪ねてみたいと思っていました。

逆川を渡る橋を渡って・・・

逆川はお城の堀としても活用していたのでしょうね。

実は到着したのは夕方近く…早めに天守閣へ向かいましょう!

もうちょっとです…かっこいいお城さんです。

天守閣を下から見上げて…迫力あります。

入城は9時から17時まで(入場は16時半まで)

天守閣と御殿の共通券を購入することになります。大人410円です。

お城の天守閣は山内一豊公によって建てられました。

1854年の大地震とは安政東海地震のことですね…南海トラフ、恐るべし…。

天守閣が平成5年に復元されたことは知りませんでした。

(もっと前からあったのかと思っていました)

復元するのは大変な作業だったことと思います。こういう技術の継承って大事ですね

2層目。夕刻近くでしたので、お客さんはワタクシひとりだけでした。

中の階段はかなり急です。手すりがあって助かります。

こちらが最上階。ボランティアの方がおられて、掛川城の歴史などを案内して

くれました(ありがたや~)。

ご年配のおじさまでしたが、丁寧に城のことを教えていただきました。

ワタクシひとりのために、ありがとうございます!

麓を眺めて…登城ルート、結構急だったのですね。

山内一豊公も妻のおまつさんとこの風景を眺めたのかな…。

こちらは御殿。中を見学することができます。

ボランティアの方にお礼を伝えた後、御殿へ向かいました。

こちらが御殿の入口。立派な門構えでした。

御殿は多くの部屋に分かれます。御殿が残るのはこの掛川城と京都二条城だけなのだ

そうです。当時の生活様式がわかる貴重な建物となっています。

国の重要文化財でもあります…建物を維持するのは大変なご苦労があることと思います

部屋ごとに展示物がいろいろ…こちらは三の間。

広々とした通路がいいですね…畳を歩くと気持ちいいです。

ちょっと写真がボケていて申し訳ないですが、歴代城主です。

掛川城は元々今川家の城でした。重臣の朝比奈氏が治めていましたが、

今川義元桶狭間の戦いで討死にした後、今川家が退勢となってゆくなか、

今川氏真駿府城武田信玄に追い落とされ、氏真は最後この掛川城に籠りましたが、

1569年、徳川家康に攻められて、やむなく開城、氏真は妻の実家である

北条氏を頼って、小田原へと落ちていきました。

1590年には山内一豊が入城。城を拡張し、天守閣を建設したのは一豊でした。

その一豊も1600年の関が原の戦いの後、高知へと転封。

その後は徳川家譜代の家臣が掛川城を治めることとなります。

最後は太田氏が治め、幕末を迎えました。

最後に二の丸茶室に寄りました。

こちらでお抹茶とお菓子をいただくことができます(大人510円です)。

こちらがお茶室…意外と広いです。

お茶の道具が展示されていました。お部屋の貸し出しも行っているとか…。

部屋から庭を眺めて…この雰囲気がまたたまりません~(雰囲気良し♪)

お抹茶が来るまでの間、縁側より庭をぼぉ~と眺めておりました。

(今日はよく歩いたなぁー)

しばらくすると、着物を着た素敵な雰囲気のおばさまが届けてくださいました。

お菓子、とても美味しかったです…抹茶も格別~♪♪

今日はよく動いたので、しばし癒しのひとときとなりました。

(当時の人々もこうして、お茶をいただき…安らぎの時を得たのでしょうね♪)

茶室にも掛川城の歴史を紹介する看板がありました。

掛川城は東海の名城と呼ばれていたそうです。

(復元前のお城はとても美しかったことでしょう…)

そろそろ閉館の時間です。名残惜しいですが…でもギリギリ間に合って良かったです。

掛川城、規模はそれほど大きくはありませんが、のんびりできる素敵なお城さんでした

(来れて良かったです…)

最後にお城の遠景を…今日はありがとうございました。

掛川市さんのHPはこちらです。素敵なHPですよー。

(今年4月に天守閣の修復工事を終えたばかりだったのですね…)

kakegawajo.com

本日の晩御飯は五味八珍浜岡店さんで。醤油ベースのラーメンさんと…

(そう言えば、お昼は井伊谷で食べたみそまんだけでした!)

はい、浜松餃子さんです!ぐるっと取り巻く餃子の中央にもやしを乗せるのが

浜松流…アツアツでとても美味しゅうございました♪

 

今日は朝から三方ヶ原古戦場、井伊谷、そして掛川城と時間を目一杯使って

巡ることができました。

前々から訪ねてみたいと思っていた故地…感動しました。素敵な出会いにも感謝です!

実はこの後、浜岡町に宿泊、翌日は御前崎、相良の街を訪ねました。

写真の点数が多くなってしまったので、そのお話はまたの機会に…。

今回も写真が多かったですが、最後までご覧いただきましてありがとうございます。

旅はいいですね…再びどこかへ旅行に行きたくなりました。

また機会がありましたら、旅の思い出をご紹介したいと思います。

 

今日は旅の思い出…遠江国の史蹟を訪ねた旅をご紹介した一日となりました。

 

ではでは!

最後までご覧いただいてありがとうございます! お礼申し上げます!!  

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