げんさんのほげほげ日記

その日に感じたことや、これまで考え続けてきたことなどを 徒然なるままに綴っております(雑話的なブログです)。 好きな読書を通じた、こんな本もありますよ~といった紹介や、 これまでの旅の思い出などにも触れていけたらな、と思っています。 (ブログの機能なども日々勉強中!)

旅の思い出~その30~新潟・彌彦神社・弥彦山、春日山城跡を訪ねた小さな旅…(後編)

春日山城本丸跡からの眺め。眼下に頚城平野がよく見えました。謙信公がおられた頃はどのような景色が広がっていたのでしょう~

今年もあと一週間となりました。

年々時間の経つのが早く感じます。

思ったとき、できるときにやっておくことが大切なのかな…。

後でやろうと思っても、きっとやることはないのだろうなぁ…。

ふとそのようなことを思ったりします。

旅も同じですね。行けるときに行っておくのが一番!

これまで旅した場所を思い出すと、今なら果たして行けただろうか…と考えたり…。

行こうかどうしようかな…と、そんな風に迷ったときはやはりGO!ですね。

今回の旅の思い出は、前回のこちらの旅の続きをご紹介します。

(5月の田植えの頃に訪ねた旅でした)

genta-san.hatenablog.com

弥彦を訪ねた後、電車を乗り継ぎ直江津駅へ。

直江津駅からはバスで春日山城跡の麓まで移動しました。

まずは林泉寺を目指します。

林泉寺近くのバス停(その名も「林泉寺入口」)で降りて、てくてく歩いて

林泉寺へと向かいました。遠くに頚城の山並みが見えました。

晴れて良い天気でありました。のどかだぁ…。

こちらが林泉寺の入口です。おじゃまいたします!

林泉寺の説明看板がありました。長尾家の菩提所でもあります。

上杉謙信公は幼少の頃、林泉寺で学びました。

春日山城跡を俯瞰する地図もありました。右側を拡大すると…

はい、林泉寺の案内になります。

林泉寺の山門が見えてきました。山間に静かに佇むお寺さんです。

山門をくぐり…おじゃまいたします。

山門の先にはきれいな中庭がありました。手入れが行き届いていました。

こちらは宝物殿。残念ながらこの日はお休みでした。

上杉謙信公は越後守護代長尾為景公の末子として生まれました。

幼名は虎千代。すでに強そうな名前ですね…。

長尾家の跡継ぎではなかったため、7歳の時にこちらの林泉寺に入ることになりました

謙信公は14歳までの7年間、林泉寺で修業することになります。

後の仏心の深さはこの時の経験が基になっているといわれています。

山門を敷地側から撮りました。謙信公の「第一義」が掲げられていました。

こちらが本堂です。平日だったからか、訪ねるのはワタクシひとり…静かでした。

本堂の中へ…こちらにも「第一義」の書が大きく掲げられていました。

敷地の奥には林泉寺に関わる歴代城主の墓があります。

林泉寺を創建した謙信公の祖父、長尾能景公、父の為景公。

上杉家が米沢へ転封となった後に越後の国主となった堀家。

江戸時代の松平家、榊原家に所縁のお墓もあります。

お墓へはこちらから。本堂の脇から奥へと道が続いていました。

(ワタクシ、もちろん行きますよ~♪)。

立派な石畳の道が続いていました。

上杉家の後、越後の国主となった堀秀治の父、堀秀政のお墓もありました。

織田信長の小姓も務め、政務の器用さから”名人久太郎”とも呼ばれた堀秀政は、

豊臣秀吉の小田原攻めの最中に亡くなりましたが、堀秀治が越後へ転封となった際、

秀政の父秀重とともに林泉寺へ改葬されました。

林泉寺は堀家三代の菩提寺でもあります)

こちらが上杉謙信公のお墓です。とても小さなお墓でありました。

謙信公の墓の隣りに川中島合戦の戦死者の供養塔がありました。

(謙信公のお墓より大きい…)

他にも多くの方のお墓が並んでいました。

訪ねてくる者もなく、ワタクシ、ひとり静かに巡ることができました。

お墓を巡る石畳の道…ちょっとした散策ですね。澄んだ空気が気持ち良かったです。

本堂の前に戻ってきました。さぁ、そろそろ行きますか。

のんびり巡ることができました。ありがとうございました。

林泉寺さんのHPがありました。よろしければこちらからご覧ください♪

(なお拝観料は大人500円になります)

myhp.joetsu.jp

では林泉寺を後にして、春日山城跡へ登城いたしましょう。

道中、いたるところに春日山城の案内看板がありますので、

道に迷う心配はありません。

(ただ季節や時間帯によるとクマが出るそうです…朝晩は気を付けた方がよいかも…)

歩くといい運動になりますね…。

山全体を城塞化しているのですね。日本五大山城といわれるだけはあります。

春日山神社の下までやってきました。目指すは本丸跡。山頂まで頑張って登るぞー!

(本日は春日山神社を経由して、右側のルートから登っていきました)

春日山神社へ向かう階段。いきなり長い階段です!今日はいい運動になりそうです♪

階段を登る終えると、正面に本殿が見えました。

春日山神社が創建されたのは1901年。比較的新しい神社さんです。

ご祭神は謙信公。米沢市上杉神社より分霊されました。

童話作家小川未明氏の父、澄晴氏が発起人となり建立された神社だとか。

(澄晴氏は江戸時代、地元の高田藩士だったそうで、地元の関係者一同で

 謙信公を偲び建てられたのだそうです)

ワタクシもお参りしまして、本日の訪問に感謝申し上げました。

さぁ、どんどん向かいましょう!

あちらこちらに案内看板があって、参考になります。

森の中を散策しているかのよう…気持ちいいですね(汗はどんどん出てきますが♪)

千貫門…どのような門構えだったのでしょう…。

しっかり掘割されています。そりゃ越後の要の城ですもんね!

どんどん登っていきます。もうひと踏ん張り!

(往時はどのような建物が並んでいたのかな…と想像するのも楽しいです)

直江屋敷跡まで登ってきました。本丸の周りには重臣の屋敷が配置されていたようです

謙信公の後継上杉景勝重臣、直江山城守兼続もこちらに屋敷を構えていたのかな?

景色が開けてきました。いい眺めです。

振り返って、麓の方を眺めて…険しい崖となっています。

(これは尾根伝いに攻めるしかないかなぁ~)

汗を拭きながら、ちょっとひと休み。ここまで登ってきた甲斐がありました。

直江屋敷を過ぎると、尾根も緩やかになります。

謙信公と言えば、毘沙門天高村光雲さんが関わられたのですね…知りませんでした。

上杉謙信、幼名虎千代。守護代長尾為景の末子…。

元服して景虎と名乗りましたが、本来は親の跡を継ぐ立場ではありませんでした。

しかしながら為景の跡を継いだ長兄の晴景は病弱であったといわれ、国内の豪族の力が

強かった越後をまとめるのに苦労していました。

そのような国では得てして、国内の豪族の勢力争いに領主の一族が巻き込まれます。

越後も例外ではなく、結局戦が強い者が台頭することに…。

最後は多くの豪族の支持を得た景虎が優勢となりました。

1548年、晴景の養子となる形で景虎は越後の守護代の地位に就くこととなります。

その後の活躍はみなさまご存じのとおりです。

やがて謙信公は1570年に出家し、不識庵謙信と名乗るようになります。

上杉謙信はこのとき誕生したのですね!

尾根伝いの道から街を望むことができます。いい眺めでした。

ドラマではよくお堂に籠って祈る姿が映されることが多いですね。

本丸に到着しました!時間は測っていなかったのですが、春日山神社の階段の下から

本丸まで30分から40分ほどではなかったでしょうか。

本丸の標高は180mなんですね…いい運動になります。

昭和10年に史蹟の指定を受けたようです。後日富山の親戚に聞いたら、昔はこんなに

きれいに整備されていなかったそうです。

(近江の小谷城のような気配の濃いお城跡だったのかな…ふと思いました)

イカーさんがいっぱい。そんなに高い山ではないので、ちょうどよい散策になる

のかもしれませんねー。

春日山城の築城時期はよくわかっていません。

越後守護は代々上杉氏が務めてきましたが、普段は山の麓に居住し、危機の折りに

付城として籠っていた…というところかもしれません。

春日山が城として機能し始めたのは謙信公の父、為景公の頃からといわれています。

謙信公、景勝公と代を重ねるにつれ、城を整備、拡張していきましたが、

景勝公が米沢へ移った後、堀家は直江津に住まいを移しましたので、春日山城は山城と

しての役割を終えることとなりました。

城の広さは東西、南北ともに2キロメートル。

往時は日本海側でも有数の城下町であったそうです。

さすが日本五大山城…雄大な景色でありました。

(これだけの規模の山城を整備するのは莫大な費用がかかったことでしょう…)

みなさん、遠くをぼぉ~と眺めておりました。いい景色ですもんね!

天守閣趾の案内が…えっ!天守閣があったのかしら…?

さぁ、そろそろ先へとまいりますか。ここまで来れて良かったです。

遠くに妙高の山々が見えました。一番高い山は妙高山かな?(雪が残っていました)

上杉謙信は生涯独身を貫きましたので何人か養子がいます。上杉景勝は養子のひとり…

更に尾根道を進んでいきます。もう汗だくだくです…。

この道、御成街道と言うのですね…。京都に次ぐ大都市だったのですねー!

近衛前嗣も居心地がよくって長居したのかな?

今も昔も酒の友は長続きするのかも…フフフ。

流石に奥まで歩く人はあまりいませんでした。

一番奥の柿崎屋敷跡までやってきました。

敷地広いですね…。それだけ力のある重臣だったということなのでしょう。

ぽつんと立つ柿崎和泉守屋敷跡の碑。

柿崎景家殿はゲーム「信長の野望」でも戦闘力が高くて有名…ホホホ♪

さぁ、そろそろ麓へと向かいますか。

道はくねくね曲がり…土地の傾斜や高低差をうまく利用しています。

まもなく二の丸…ちょっとしたハイキング気分です♪

二の丸からの眺め。当時も建物がビシッと並んでいたのでしょうか。

二の丸も広いですね…どれだけ人がいたんだか。

今も昔も経済は大事ですよね…。

越後は佐渡の金山もあり豊かな国であったといわれています。

一方でそれほど豊かではなかったという説もあります。

民を飢えさせないために毎年のように出兵を繰り返し、他国で略奪して腹を満たし、

物資や人を奪って持ち帰ったとか…。

(当時、人をさらって身代金を要求することも多かったそうです…あまり知られて

 いない戦国史だったりします)

謙信公は義の戦をしていたといわれていますが、ワタクシは個人的には?の思いが

強いです。やむに已まれず戦をしていたのでは…と。

個々の戦いには強くとも、どちらかというと戦には弱かったのではないか…と。

結果から見ると、川中島の戦いは幾度もありましたが武田家は北信濃を守りました。

関東も北条家が領土を守り、謙信公は最終的には土地を得られませんでした。

(北関東の人たちは毎年やって来て…いい加減にしてくれ!という感じだったのでは)

織田家手取川の戦いで負けたのも、ある意味秀吉公が底抜けをしたから…。

人によって見方は異なるでしょうけれど、謙信公は他の戦国大名と同様、

領土拡張に燃えた方だったのではないかなぁ~という気がしております。

⇒あぁもう越後寒いし、暖かいところに行きたい!どっちへ行ったらいいんじゃ~

 みたいな…あっ、それはワタクシですね~ひとりごと、すみませんー😊😊

(だから結構好きなんですよね~人間らしくて。信長の野望でも上杉謙信でプレイ

 したことがあります。めっちゃ強いんですよね…ただ国内の反乱も多かったですが♪)

どんどん降りていきます~下りは楽ですね。

(でも油断は禁物!登山も遭難は登りより下りの方が多いと聞きますゆえ…)

三の丸が見てきました。ここも土地が広いです。

三の丸には米蔵があったようです。

三の丸には謙信公のもうひとりの養子、上杉三郎景虎公の屋敷がありました。

こちらの景虎公は北条氏康の七男で、上杉家と関東の北条家が同盟を締結した際、

その証として越後へやってきました。

謙信公に愛されていたのでしょうね…謙信公の「景虎」の名を与えられていること、

また大切な米蔵を守る場所に屋敷が与えられていることからも大事にされていた

ことが感じられます。

(勿論越相同盟の象徴でもあったことも忘れてはなりませんが…)

謙信公没後に起こった跡目騒動(御館の乱ですね!)ではご存じのとおり、

上杉景勝に敗れ、三郎景虎は自害することとなります。

ほぼ国を二分したこの内乱は結果として上杉家の国力を著しく衰退させることと

なります。

本能寺の変がなければ、越後は早々に柴田勝家軍に席巻されていたのではないかな…

なんて思ったりもします。

歴史にIF…はありませんが、もしも謙信公が存命中に後継者を指名していたら

どうなっていたかな…越後国の権威、前関東管領上杉憲政は三郎景虎公を支持して

いましたから…そんなことを想像するのも楽しいですね。

あちらこちらに家臣の屋敷趾の碑が…いっぱい屋敷が立ち並んでいたのでしょうね。

車道まで降りてきました。晴れていい天気でした…日に焼けたかな~♪

凄い掘割です。こんなの越えるの無理です!!

本丸方面を振り返って…さすが日本五大山城と言われるだけはありますねー。

登りごたえのある、いいお城さんでした。

大きな謙信公の銅像が…街を見つめていました。

馬に乗って、こんな謙信公が現れたら…確かに軍神と呼ばれるのもよくわかります😊

謙信公の銅像のそばにお茶屋さんがありました。

ちょっと遅めのお昼にしましょ♪♪

時間は既に午後3時を過ぎていました。お客さんはワタクシひとり。

(あぁ、お昼食べずに歩いていたからなぁ~~)

「お好きなところへどうぞ~♪」

優しいおばあさんが迎えてくれました。

いやぁ~よく歩いた!まずは熱燗をいただきます。越後の地酒「天と地」であります。

座敷からの眺めも良かったです。

歩いた後のお酒はまた格別ですなぁ~お供はフキさんで♪

メニューをパシャリ♪ 壁には本日のおススメも飾っていました。

本日のおススメ、げその天ぷらをチョイス!アツアツで美味しい。お酒も進みますー♪

謙信公が能登の七尾城攻めで詠んだ歌。

四十九年は一睡の夢、一期の栄華はこの杯の酒…お酒を愛した謙信公らしい歌です。

(本当に脳卒中で倒れられてしまって…もう…)

〆のおそばは謙信力そばを…ダシが美味しかった!御餅もパワーいただきました😊😊

ふぅ、完食~ごっつあんでした!

頃を見て、おばあさんが熱いお茶をもってきてくれました。

(美味しかったです。ありがとうございましたーとお伝えしましたら、

 ニコニコ微笑んでおられました)

チラシが置いてあったので、酔い覚ましを兼ねて…お茶を飲みながら眺めてました。

今日はぐるっと回りました。のんびり回ったので2時間ぐらい滞在したかも…。

春日山城跡、思っていたより大きなお城さんでした。また来てみたいです。

かなり歩いたので、見晴らし屋さんではのんびりさせてもらいました。

お店のHPもありました。温かな雰囲気のお店…こういうお茶屋さんは大好きです。

色々大変でしょうけれど、これからも頑張ってほしいです

miharasiya.blogspot.com

さぁお腹もいっぱい…ほろ酔い気分で…。

「気ぃ付けて、お帰り~♪」謙信公がそう微笑んでいたような気がしました。

見晴らし屋さん、また来てみたいお店です。コロナ下でも頑張っておられる様子…。

麓まで降りてきました。今日は結構歩いたなぁ~。

振り返って、春日山城の本丸を眺めて…地元のみなさんに愛されるお城です。

謙信公祭り、一度見に来ようかな…。

(GACKTさんが謙信公を演じて話題になりましたよね…)

今度はこちらの大手道から登ってみるのもいいかもしれません。

彌彦神社弥彦山、そして春日山城跡を訪ねた旅はこれでおしまいになります。

前編後編と二度に渡り、ご覧いただきましてありがとうございます。

旅先で人や史蹟と出会い、感動をいただく…これに勝る旅の醍醐味はありません。

バーチャルな旅もいいですが、やっぱり自らの足で訪ね、実際に眺める…

この経験はいつまで経っても忘れないものですね。

こうして旅を振り返ると、無性に旅へ行きたくなります😊😊

また機会がございましたら、旅の思い出をご紹介したいと思います。

 

今日は前回の思い出の続き…春日山城跡を訪ねた旅を振り返った一日となりました。

 

ではでは!

最後までご覧いただいてありがとうございます! お礼申し上げます!!  

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