げんさんのほげほげ日記

その日に感じたことや、これまで考え続けてきたことなどを 徒然なるままに綴っております(雑話的なブログです)。 好きな読書を通じた、こんな本もありますよ~といった紹介や、 これまでの旅の思い出などにも触れていけたらな、と思っています。 (ブログの機能なども日々勉強中!)

旅の思い出~その27~近江の史跡を訪ねた小さな旅…(国宝彦根城、多賀大社、紫香楽宮跡などを訪ねて…)

国宝彦根城、落ち着いた雰囲気を醸し出していました

今年は9月に三連休が2回あります。

この3連休はどこかへ出かけようかな~と思っていたのですが、

大きな台風が近づいてきたので、ちょっと難しいかな…と。

(痛めたお腰を休ませる必要もあったためですが…汗)

しばらく遠出をしていないので、どこか旅へ行きたかったのになぁ~と

ちょっと寂しいワタクシ…。

はい、そんな気分のときは以前旅した思い出を振り返るのが一番ですね😊

ということで、久しぶりとなりますが旅の思い出をご紹介したいと思います。

(バタバタが続いて、旅の思い出シリーズも随分とご無沙汰してしまいました♪)

 

今回は大阪で仕事をしていたとき、日帰りで訪ねた近江の史跡を

訪ねた旅をご紹介したいと思います。

国宝彦根城近江鉄道に乗って訪ねた多賀大社、そして信楽高原鉄道に乗って

向かった紫香楽宮、小さな旅ではありますが、ご紹介いたしますー😊😊

(5年ほど前のお話ですので、現在は風景が変わった場所もあるかもしれません…

 何卒ご承知おきください!)

とある日、たまたま朝早く起きた日がありました。

外は晴れていい天気…あぁどこかへ行こうかな?

ということで、前々から気になっていた彦根城へと向かいました。

(いつも突然飛び出していくワタクシ…ひこにゃんの街へGOー!😊)

大阪から新快速に乗って、70分ほどで彦根に到着します。

新快速は速いですよね…大好きな電車です。

彦根駅から西へ10分ほど歩くと彦根城のお堀が見えてきます。

広いお堀でありました。

(何やら生き物もいっぱいいそうですね!)

こちらが佐和口。彦根駅からの最寄り口となります。

お城の入口は何か所かありますが、電車で来られる方は佐和口から入るとよろしいか

と思います。

佐和口のお堀をパシャリ♪ 石垣も立派でした。

佐和口から表門橋を渡り、お城の表門の坂を登ると、天秤櫓に着きます。

坂は結構急でした。橋の下をくぐり抜けて、その後ぐるっと回って上へと登ると…

天秤櫓へ向かう橋の上へと出ます。

敵が来たとき、この橋を落とすことによって、本丸の守りを固める…

そんな意味合いもある橋なんだそうです。

(落とし橋とも呼ばれています)

落とし橋の上からは遠く琵琶湖が見えました。この日は晴れて、いい天気でした!

こちらは天秤櫓の二階部分。ここに兵を配置して、狭間を覗くと…

眼前に落とし橋が見えました。この狭間から鉄砲、矢を射かけたりしたのでしょうか。

さぁ更に本丸へと進んでいきましょう!

手前に見える山は佐和山です。石田三成の居城があったお山さんですね♪

太鼓門櫓を経て、しばらく進むと本丸に着きました。

本丸の標高は50m。

小高い山の上に3階3層の天守がどーんと立っておられました。

こちらの天守、日本国内に12か所ある現存天守のひとつです。

また、彦根城天守は国宝にも指定されています(1952年に指定)。

天守が国宝指定を受けているのは日本では5つのお城さんしかありません。

(他の4城は松本城犬山城、姫路城、松江城

ではさっそく天守に登ってみましょう!

中は混雑…渋滞していました。お休みの日でしたから…

階段はとても急でした。気を付けて上り下りしないと♪♪

天守のてっぺん、三層階に到着!中はそれほど広くはありませんでした。

(コロナ前でしたから、密ですね…何だか懐かしい光景です)

天守からの眺めは素晴らしいものでした。ぐるっと眺めてみましょう。

まずは北の方面を…琵琶湖が少し見えますね~

こちらは彦根市街方面です。三層とは言え、山の上に立つだけになかなかの高さです♪

佐和山方面を…三成さんの佐和山城はどんな建物だったのかな…なんて思ったりして♪

京の方角を眺めて…遠く沖島も見えました。

城主さんも往時、こちらから京を見つめていたのでしょうか。

西の丸の方面を…後で寄ってみましょう!

琵琶湖が近いですね!しばらくぼぉ~と眺めておりました(多景島も見えました)

では、そろそろ下へ降りましょうか。

廊下にて。柱が立派でした(ちょっとピンボケしているかも…すみません)

彦根城は江戸時代を通じて、井伊家の居城でした。

関ヶ原の戦いで勝利を収めた徳川家康は、石田三成が領有していた近江の東の土地を

徳川四天王のひとり、井伊直政に与えました。

1603年に彦根城の築城工事が始まり、城が完成したのは1622年。

19年もの歳月がかかった大工事であったといわれています。

一説によると、石田三成の痕跡を消すために、三成の居城であった佐和山城にあった

すべての構造物を破却し、その多くを彦根城へ持ってきたとか…。

(徳川方の三成への恨みつらみは深いものがあったようですね…)

江戸末期、安政の大獄を進めた大老として有名な井伊直弼はこちら彦根藩第16代の

当主さんでもありました。

ではぐるっと回って、西の丸へと向かいましょう。

天守さんを西側からパシャリ!後ろから撮った写真はあまりないかも…♪

 

明治時代の廃城令により、彦根城天守も解体される予定だったそうですが、

明治天皇彦根に巡幸された際、同行していた大隈重信公が働きかけた結果、

天守や櫓などが保存されることとなったといわれています。

(大隈公に感謝ですね!)

西の丸の三重櫓まで歩いてきました。三重櫓は重要文化財に指定されています。

三階まで登ることができますよ。

三階からの景色をどうぞ~目の前に琵琶湖が見えて、いい眺めです。

上から見ても、堀がしっかり残っているのがわかります。

廃城を免れた彦根城は井伊家に下賜されました。

その後1944年、彦根城は井伊家より彦根市へ寄付され現在に至ります。

お城を維持保存するのは大変な労力が必要かと思います。

彦根市さん、ご苦労なさっておられるんだろうなあ~当時の建造物も多いですし…

そんなことをふと思っておりました。

(維持には大変なお金がかかるんですよね…本当にありがとうございます!)

再び天守まで戻ってきました。外から狭間を見上げて…。

天守は平成9年、平成の大修理と呼ばれる3年にも渡る大工事を経て、きれいな姿を

取り戻しました。冬は寒く、風も強いお土地柄…傷みも激しいものと思われます。

(山の上に立っていますからね~冬は寒そうです…)

彦根城、後世に残すべき貴重な歴史資産だと思います。

 

さぁ、そろそろ麓へ降りましょうか…。

時報鐘。実際ごぉ~んと鳴っていました。

太鼓門櫓へと降りる道。先ほどはこちらを登ってきたのですよね…。

空がきれい・・・佐和山を背景に。佐和山城跡は以前訪ねたことがあります。

(その訪問記はまたの機会に…登りやすい素敵な山城ですよ~😊😊)

佐和口へと降りていきます。坂道、結構急!

佐和口の近くに井伊直弼が部屋住みだったころの館、埋木舎(うもれぎのや)があります

建物には入りませんでしたが、思っていたよりは中は広そうです。

(今にしてみれば、寄っておけばよかったかも…)

井伊直弼公は14番目の男子だったとか。

本来であれば一生部屋住みで終わる人生…ところが藩主の跡継ぎが亡くなるという

ハプニングがあり、急遽世継ぎとなりました。

人生、何が起こるかわかりませんね。

茶の湯への造詣も深く、「一期一会」の言葉、考えは直弼公が広められたものだとか…

(部屋住み時代に学ばれたことが後に生かされたのでしょう。継続は力なりですね!)

埋木舎のHPもありました。よろしければご覧ください…。

www.umoreginoya.com

いろは松と佐和口。かつて47本、今は34本の松が残るそうです.

 

少し駆け足だったかもしれませんが、長年訪ねたかった彦根城に伺うことが

できて良かったです。

素敵なお城でした。また訪ねてみたいです。

最後に彦根城の公式HPをどうぞ。空撮も交えた、気合の入った素敵なHPです。

hikonecastle.com

彦根城を後にして、次に向かったのは多賀大社

「お多賀さん」と呼ばれ、地元でも親しまれている滋賀県第一の大社さんです。

多賀大社の最寄り駅は近江鉄道多賀大社前駅

彦根から近江鉄道に乗り、途中の高宮駅で乗り換えとなります。

いやぁ~ピンクの車体。アニメキャラ…何だか萌えますね♪♪

鉄道むすめさんですねー!全国各地で萌え系の名前をつけてます。

高宮駅から2駅で終点の多賀大社前駅です。

(次の駅はスクリーン駅。工場が居並ぶ中を電車は進んでいきます。夜は工場萌え?)

多賀大社前駅から歩いて15分ほどで大社さんに到着します。

境内の案内図がありました。

正面が拝殿。本殿は拝殿の奥になります。

多賀大社は712年編纂の古事記にも紹介されている由緒あるお社さんです。

(1300年の歴史があるのですね!)

ご祭神は伊邪那岐(いざなぎ)命と伊邪那美(いざなみ)命。

いざなぎさんといざなみさんだなんて…歴史の長さを感じます。

多賀大社の分社は全国に239社を数えるそうです。

今は静かに参拝客を迎えておりますが、お社ができた頃の風景はもっと神々しいもの

だったのでしょうね…。

(本殿の背後に控える樹々が風景に溶け込み、美しゅうございました)

ワタクシも静かにお参りをいたしました。

本日の数々の出会いに感謝申し上げました。

散歩をされている方も多く見かけました。

おうちの近くにあれば、早朝に訪ねたりできるのになぁ~なんて思ったりして♪

こちらは太閤橋。急な傾斜ですが渡ることができます。

太閤秀吉、武田信玄などいろいろな方が寄進しました。

さぁそろそろ行きましょうか…。

多賀大社も訪ねてみたいお社さんでした。今日は来れて良かった~😊

多賀大社さんのHPはこちらです。よろしければどうぞー。

www.tagataisya.or.jp

こちらが駅からの参詣道。糸切餅を食べました。おいしかった!

(あっ、写真を撮るのを忘れました~♪)

古い家屋が続く街並み。訪ねてから数年が経ち…今はどうなっているのでしょうか…。

再び高宮駅に戻ってきました。レトロな駅でした。

多賀大社前駅より乗って来た米原行きの電車が去って行きました。

次の電車が来るまで、しばし駅でほげほげ…年季を感じるレールです。

電車が来ましたので、次は水口へと向かいます。

目指すは水口岡山城跡。関が原の戦いで西軍についた長束正家の居城だったお城です。

近江鉄道の車窓から~♪

高宮駅の次の駅は尼子駅

戦国時代の山陰地方の雄、尼子氏の出身地といわれています。

遡ること室町時代佐々木道誉の名でも知られる京極高氏の孫、高久が近江国尼子荘に

所領を持ち、尼子氏を称したのが始まりだとか。

高久の子、持久が京極家の守護代として出雲へ下向した…それが尼子氏の成り立ちでも

あります。

ワタクシ、以前月山富田城跡を訪ねたことがあるので、あぁ~ここがあの時の尼子氏の

ふるさとなのかぁーと少し感慨深げに駅を眺めていました。

月山富田城跡を訪ねたときの訪問記はこちらです。よろしければどうぞ~♪)

genta-san.hatenablog.com

長閑な風景の中、電車は更に進んで行きます。

道中には八日市、日野など惹かれる街並みもありましたが、そこはまた今度♪

高宮駅から1時間ほどで水口駅に到着しました。

目指す山城の遠景を一枚パシャリ♪

江戸時代に築城された水口城と区別するために、地元では水口古城とも呼ばれています

水口駅から歩いて30分ほど歩くと、山上の本丸跡に到着するはずでしたが…。

麓から山上へと続く道をさぁ登ろう…と思ったその矢先、

山の上の方から…唸る野犬らしき声がたくさん聴こえてきました。

ええっ…遠吠えですわぁ~。山上に何匹かいる!!

学生時代、とある島へ行ったとき、夜に宿の近くの自販機へジュースを買いに行った際

首輪のない犬たちに囲まれた記憶のあるワタクシ…

ちょっとトラウマになっているんですよね…

ということで、そそくさと駅へと折り返しました

(はい、ワタクシ軟弱です…See You Castle~♪♪)

その後、駅の近くにある近江ちゃんぽんのお店で遅めのお昼をいただいて、

次の目的地に向かうこととしました。

(グーグルマップで当時のお店を探しましたが、見つかりませんでした。

 このコロナ下でひょっとしたら…ということもあったのかもしれません。

 駅の近くにあったのになぁ~和風だしのチャンポン、野菜たっぷりで

 おいしいんですよねー近江ちゃんぽん、また食べたいです)

最後に向かったのは紫香楽宮跡

水口から更に進み、貴生川駅信楽高原鉄道に乗り換えます。

信楽高原鉄道は貴生川と信楽の14.7kmを結ぶ第三セクター鉄道です。

貴生川駅で待っていると、「忍」列車がやってきました。

忍者のキャラクター満載…かっこいいです!

信楽高原鉄道さんはいろんなラッピング車両をお持ちです。

当時の都の位置図。紫香楽宮は最初は離宮として建設されたそうです

紫香楽宮は今から1200年以上も昔…聖武天皇が遷都された都のひとつと

いわれています。

どうしてこのような場所に都を建設したのでしょうね…不思議です。

貴生川駅を出発した列車はぐんぐんと高度を上げていきます。

高原鉄道と呼ばれるだけあっていい眺めでありました。

(すみません…写真を撮ったはずなのですが、データがどこかへ行ってしまって…)

列車は9kmほど走ると、最初の駅「紫香楽宮跡」に到着しました。

信楽高原鉄道は雲井駅、勅旨駅と面白い駅名が多いです。

到着したときは既に夕暮れ…日も落ちかけていました。

急いで見て回らねば!!

駅から近い内裏野地区を訪ねました。入口に年月を感じさせる碑がありました。

紫香楽宮の説明看板がありました。

紫香楽宮の史跡は何か所かに分かれています。

駅から近い内裏野地区が当初紫香楽宮跡だと言われていましたが、発掘の結果、

宮殿は地区の北にある宮町遺跡にあったのではないか…

内裏野地区は甲賀寺跡なのではないか…

今ではそのように考えられているそうです。

(でも実際のところはよくわかっていません。今後の発掘調査の結果が待たれますね)

甲賀寺のイメージCG。甲賀寺は総国分寺として建設されたといわれています。

聖武天皇行基を招いて、こちらで「盧舎那仏(大仏)建立の詔」を発したのだとか…

しかしながら、その後紫香楽宮界隈で山火事や地震などの天災が相次いだこともあり、

都は平城京に戻ることとなってしまいました。

歴史にIFはありませんが、東大寺の大仏はひょっとしたらこの地で見られることと

なったのかもしれません…。

甲賀寺の配置図もありました。大きなお寺さんだったのでしょうね…。

真っすぐ伸びる大路を…奥へと向かいましょう。

もう夕方…周りには誰もいませんでした(ちょっと静かすぎる…)。

馬酔木がありました。久しぶりに見たなぁー!

(地元小学生の方が取り付けました…というご案内がちょっと微笑ましかったです)

敷地内には案内の石板が多数ありました。こちらは金堂の案内。

礎石が点々と残されていました。静かですね…イノシシが出そう…♪♪

聖武天皇は次々と遷都を重ねていきましたが、この紫香楽宮も建設途上で開発を

終えてしまいました。

(当時の民は大変な負担、労力を強いられていたのではないでしょうか…う~む)

塔院の案内もありました。ここに五重塔があったとは!

僧房の跡…敷地は広かったです。

僧房の説明看板がありました。相当な数の方々がお務めをされていたのでしょうね。

手前が講堂。奥の敷地が僧房であったといわれています。

講堂の案内看板。今では聴こえるのは鳥たちのさえずりだけでした…。

紫香楽宮の宮殿はヒノキで作られたのですね…。

ヒノキ…すぐ火が付きやすいので「火の木」と呼ばれるようになったという説も

あるそうな…。

スギは真直ぐな木…だから直木(すぎ)という名前になったのですね。

知らなかったです~フムフム、勉強になります。

ささやかなお宮さんが祀られていました。お参りいたしました。

紫香楽宮も訪ねてみたい場所でした。やっと訪問できました。

建設当時は大層な賑わいだったとは思いますが、今は静まり返った古都。

わずかな時間ではありましたが、その雰囲気を体感できて良かったです。

ありがとうございました!

紫香楽宮跡のHPもありました。こちらからどうぞ~♪

www.ac-koka.jp

さぁ日も暮れましたので、そろそろおうちへ帰りましょうか。

本当は北にある宮町遺跡も訪ねてみたかったのですが、夕暮れでタイムオーバー。

またの機会といたしました。

(足がパンパンとなっていたのも理由のひとつでしたが…テヘヘ♪)

1200年以上前の遺跡が礎石が中心とはいえ、いまだに残っているのは驚きです。

滋賀県はいろんな遺跡があって奥深いなぁ~とも思いました。

本当は信楽高原鉄道の終着駅信楽も訪ねて、信楽焼の街の雰囲気を味わいたかった

ですが、こちらも今後ですねぇ~。

(…と言いながら今に至っておりますが…汗)

紫香楽宮跡駅にて。信楽焼のたぬきさんがお出迎え。

信楽高原鉄道は本数が少ないので、時刻を確認してから訪ねた方がよいと思います。

駅で待っていると、遠くより帰りの列車がやってきました。

 

この後、再び貴生川駅に戻り、草津線草津を経て、大阪のおうちへ帰りました。

貴生川ではすっかり暗くなっていました。

ふらっと日帰りの旅でしたが、前々より訪ねてみたかった彦根城多賀大社

紫香楽宮跡を訪問することができて良かったです。

今は東京におりますので、在阪当時、あちらこちらへと訪ねたことが懐かしく、

また機会があれば、再訪したいなぁ~と思う今日この頃であります。

 

今回も写真が多かったですが、最後までご覧いただきありがとうございました。

また折を見て、旅の思い出をご紹介したいと思います。

 

本日はささやかではありますが、近江の史跡を訪ねた小さな旅をご紹介した一日でした

 

ではでは!

最後までご覧いただいてありがとうございます! お礼申し上げます!!  

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