今日も東京は35度まで気温が上がりました。
ベランダへ出ると、むわっーーとした熱気がワタクシの身体を包む~♪
「暑っー!ベランダでほげほげできない…(あ、そりゃ無理ですね)」
さすがに今日は部屋に冷房を入れてしまいました。
あぁーー冷気が…気持ちいい…ウトウト…
(ふとんから動けませんね…)
今日は一日、ふとんでゴロゴロしながら、高田好胤さんの本を読んでいました。
高田さんは法相宗の流れを組むお坊さまです(いや、高僧さんであります!)。
大正13年生まれ。数え年12歳の時に薬師寺で得度して以来、薬師寺にご縁の深い方
金堂の復興のために全国を行脚し、お写経をして頂くことによって資金を得る…という
前代未聞の取り組みをなされた方でもあります。
本のあとがきには、
昭和42年、四十余歳で住職になった時から、師匠橋本凝胤師の悲願を継ぎ、薬師寺の
金堂復興に取り組みました。その方法は大企業などに寄進を御願いするのではなく、
お写経をして頂くというものでした。一巻(お経は一巻二巻と数えます)千円の納経料
を納めていただき、それが百万巻で十億円。それで白鳳時代の金堂を復興すると前代未
聞の発願をしたのですが、昭和五十年に百万巻達成、五十一年に金堂が落慶したのです
日本の歴史において、お写経でお堂が建立されたのは初めてのことと聞いて居ります。
その後も「金堂が再建されたからとお写経を止めないでくださいな」と多くの方からの
声に支えられて、お写経勧進は続き、西塔、中門、回廊、大講堂へと伽藍復興は進んで
ゆきました。
と書かれていました。
二十代の副住職時代の頃から、奈良を訪ねた修学旅行生に薬師寺の説明を通して、仏心
の培い、民族精神の種まきを十七年、十八年にわたり声を嗄らして語り続けてこられた
とか…その数は五百万人とも六百万人とも言われているそうです。
(凄いですね…)
高田好胤老師は平成10年に75歳で逝去されましたが、その語りを今日は少し触れて
みたいと思います。
P6 「時は命なり」です。時の流れは命の流れなのです。
私どもの存在は現在世だけのものではありません。
過去から現在へ、そして現在から未来へ…。そういう無窮の時間の流れの中に私たちは
たった一つの命をいただいて立っているのです。ですから「死んでしまえば御仕舞い」
などというニヒリズムに陥っている暇もないし「今日やらなくとも、明日…」などと
悠長なこともいっていられないのです。
私どもの目の前のこの時は、瞬間もとどまることなく流れに流れているのです。
そのかけがえのない「いま現在」という時間を無駄にすることは時間を殺すことであり
それはまた一つの不殺生戒(ふせっしょうかい)を犯すことでもあります。
時間を殺すのも殺生です。
P22 昨日あるによりて今日あり。今日あるにより明日あり。
昨日のない今日は、ないのです。そして今日があるということは明日があるということ
今日の私が、明日の私を生むのです。
人は、それぞれに暗い過去、辛い過去をも背負っています。しかし、それがたとえどん
なに辛くとも、佛さまの教えをいただくことによって、マイナスをプラスに生かすこと
ができる。今日からよりよい明日へと方向転換ができます。
過去、現在、未来の関係を、過去があるによって今日があり、今日の現在が明日を、
明日からの未来を生みなしていく、つくりなしていくと考えてみてください。
いまや世の中すべてが、刹那の享楽だけを求めています。
⇒「生きる」というテーマの中で高田さんは度々「時間」について語っています。
時間は買えないもの。戻らないもの。つながっていくもの。
そのときそのときを大切に、一生懸命に生きていきたいですね。
(あ、もちろん楽しむことができれば、よりいいですよね~😊)
P28 盆はな盆は楽しや別れた人がはれてこの世にあいにくる
お盆がくればご先祖さまが帰ってきてくださるんだ、これは温かい風習です。
このしきたりがどれほど人々の気持ちをなごめ、なぐさめてきてくれたことでしょうか
それが事実わが身になったとき、そのぬくもりが身に染みてありがたさがわかります。
お盆をどうかあたたかくお営みになってください。
⇒コロナもあってなかなかお墓参りに行けない状況かもしれませんが、このお話を
読んで、祖父母のお墓参りに行こうかな…と思ったワタクシでありました😊
P58 人は黙して坐するを謗(そし)り、言葉多きを謗り、また少なきを謗る。
世に謗られざる人なし。
人というものはそういうものだから、気を落としてはいけないと釈尊はいわれたのです
私どもは謗られたら気が滅入ります。
そういうときは、私は夜中でも持佛堂に入って、懸命にお写経をいたします。そんな私
の前にお釈迦さまがお出ましくださって、こうおっしゃってくださるのです。
「ただ褒められるばかりの人、過去にもなかりき、未来にもなかるべし、現在もある
ことなし」
P62 作為のない心からの微笑が和顔施(わげんせ)です
いつもなごやかな顔をして人に接するということが和顔施であります。ニッコリと微笑
みをたたえた顔に接する者は、どんだけ心をなごませられることか。
先日、私がソビエトに参りましたとき、方々であちらの人たちの笑顔に出会いました。
遠い国から旅して行ったわれわれを見て、ニッコリと微笑みかけてくれるのです。
知らない国、言葉の通じない国での不安を、その笑顔が取り除いてくれました。
人なつこい微笑に、お互いに人間同士、通じるものがあるのだと安らいだ気持ちになり
これこそ和顔施やなと、つくづく思ったものです。
⇒もう数十年前のことですが、シルクロードへ旅したときの現地の方々の微笑みが
忘れられません。無垢の笑顔…笑顔は世界共通の言語だなぁ~と思った次第です。
昔祖母に、人はどこかで誰かが見ているものですよ…と話してくれたことがあります
人の行動は結局ぐるっと回って、その人に戻って来るものなのかもしれません…。
P86 いざというときに実力を発揮するのはバカになることができる者なのだ。
私はよく建築の先生方にたずねるのです。「法隆寺、唐招提寺、東大寺、そのほか奈良
には立派な建物がいっぱいありますが、どうしていまの建築家は古い建物の精神を学ぼ
うとしないのですか?」
すると、先生方はいうのです。
「いまの建築家はこんなバカなまねはしませんよ」と。
「昔の建築は目に見えない天井裏なんかにものすごく材料を使っている。いまの建築家
にあれと同じだけの材料を使わせたら、同じ形の同じ大きさの建物を二つか三つ、場合
によったら四つでもつくります」
この話を、第二室戸台風のときに私は思い出しました。電車の窓から見える格好のいい
建物ほど、賢い人のたてたものほど、見るも無惨な姿でひっくりかえっている。この時
私は、いざというときに実力を発揮するのはバカになることができる者なのだと思った
そして、このときほど自分自身に強い誇りと自信を感じたことはありません。
⇒いわゆる地頭(じあたま)ということでしょうか♪♪
ワタクシ、いつもゲラゲラ大音声で笑って、バカ丸出しですが(爆)、まだまだバカ
にはなりきれてませんね~~(これからも精進せねば!)
建物の話といえば、今回、新しい国立競技場を作りましたが、結局あまり使われませ
んでした(あくまで結果論ですけれど…)。
この後のメンテナンスのことを考えると、大変な建物を作ってしまったのではない
かな~なんて思ってしまいます…。
P94 人間というものはそんなに器用なものではありません。
あれもしたい、これもしたい、あれもしなければいかんと、思うことはいろいろありま
す。けれども百万巻写経をやっていたら、もう、ほんとうに百万巻写経しかできない。
あれもこれもとは思うけれども、ひとつ事に堪えていかねばということです。
ひとつ事に堪えてゆく「堪忍心」、これができなければ、目的の成就はできません。
あれもこれもと思っている間に青春は過ぎ、一生は終わってしまいます。
P116 「病(やまい)は真の善知識(ぜんちしき)」と申します。
善知識とは尊いお師匠さんということです。お互いに苦労をしなければ、苦労をしてい
る人の気持ちはわからないでしょう。病気をしたものにしか病気を通した健康の喜びを
味わうことはできますまい。
ほんとうの人生のありがたさを教えてくれるのは病気なのです。
⇒以前、2週間ほど入院したことがあります。全身麻酔で手術をして、数日は身体が
思うように動きませんでした。毎日白い天井と窓の外を見つめる日々…。
病院から退院した後、健康というものは本当にありがたいものだ…そうしみじみと
感じたことを思いだします。
あのときから、何となくですが、人生というものに対する考え方が少し変わったよう
な気もします…。
(昔、別の会社で一緒に仕事をした方も(旅行好きの遊び人で、ワタクシの人生の
先輩と尊敬している方ですが…♪)大病を患い、1年間休職して以後、人生への接し
方、考え方が変わった…と語っていたなぁ~)
P130 学ぶということは真似(まね)ることにはじまる。
子供は親の言うことを聞くものではない。親のする事を見よう見まねで真似て学ぶの
です。ご飯の食べ方でも電話のかけかたでも、気がついてみると子供が自分にあまりに
も似ていて嫌になることがあります。
だから、子供がいうことを聞かなかったら、ヒステリーを起こす前に、あぁ、これは
私の子供に間違いない、私のやってきた歴史をそのまま繰り返している、と思うべき
なのです。
P136 親の姿こそが子供の心を生み育てるものである。
後ろ姿で子供を導く、これが親の値打ちであります。けれどもそういう値打ちの足り
ないのが今日お互い私ども親であります。
また、子供は親のいうことを聞くものではありません。どなたにも覚えはあると思うの
ですが、親にひと言いわれて、それで「はい」とすぐ聞くような、子供心というものは
それほど単純なものではないのです。
ただ、親のいうことは聞かないけれども、親のすることはいつとはなしに真似するもの
です。
いまからでも遅くありません。「おはようございます」「おやすみなさい」それに、
「いただきます」「ご馳走さまでした」ぐらいは、せめていうようにしようではありま
せんか。
P178 非行化しているのは子供の方ではなく、おとなの方です。
子供は常におとなの心の鏡です。むしろ、私は今日の世の中はまことに子供たちに対し
て無慈悲だと思います。たとえば、子供にとって最も必要な広場というものを与えてい
ない。私たちが子供のときは道ばたで鬼ごっこや隠れん坊ができた。
子供の遊びをおとながとりあげたわけです。与えるものは与えず、子供のものはとりあ
げ、一方では子供を利用している。
これが現在の子供に対するおとなの姿であります。青少年の非行化というのは、つまり
おとなの非行を映している姿です。
⇒あぁ、そうだなぁ~と、ウンウンうなづいてしまいました😊
人の後ろ姿を、人は良く見ていますよね…。
このコロナ下での1年半、いろいろと若い世代のことを言う人が多いですが(議員や
マスコミさん、あなたたちのことですよ!)、そんなことはない。若い人たちはしっ
かりと物事を考えていますよ。
むしろ、そんな大人たちの背中を若い人たちはどのように見ているのか…
ちょっと気になります。
(あっ、ワタクシも心せねば…! ほげほげが息子たちに真似られるー(爆))
P254 心を聞くようにしないことには本当に話し合いはできない。
人の話や講演を聞くときにも、言葉だけ聞いて心を聞かないというのでは、結局言葉
じりだけにとらわれることになります。
いまの世の中でいい合いはあるけれども、本当に話し合いがまことに少なくなっている
というのは、そういうことが原因だと思われます。
⇒昨日のリモート会議を思い出しました。画面を通して言葉のやりとりをしているけれ
ども、果たして心までは伝わったかどうか…。
目の前に人が座っていれば伝わられるものも、画面を通して…となると…。
心の距離というものもあるのかもしれないなぁ…ふとそんなことを想いました。
P298 物で栄えて心で滅ぶ。
人間は「万物の霊長」だといわれています。肉体的には動物よりも劣っています。それ
を精神でおぎなっているために霊長といっているわけでしょう。「霊」とは魂であり、
心です。鳥よりも高く速く飛ぶ飛行機を考え、馬に負けない自動車をつくり、夜でも
明るい電灯を考えました。
私は生活が便利になって行くことを否定するものではありません。科学は人間の偉大
なる智慧が生んだものだから、人間はそれを享受すべきです。だが、物質的な豊かさと
いうものが、精神的貧困の上に成り立っているのだとしたら無意味です。
いま私たちの敵は私たちの心の中にいます。驕慢と欲望のあくなき追及、これらはみな
敵と心がけなければなりません。
全てをご紹介すると怒られてしまいそうですので、この辺りとさせていただきたいと
思いますが、「あぁそうだなぁ…」「確かに、気をつけていこうかな…」などなど、
参考となる内容も多かったです。
もしもご興味がおありでしたら、お近くの図書館でも置いてあるかと思いますので
少し気分転換!ひと休みがてら、ちょこっと読書に…いかがですか?
最後の高田老師の言葉をふたつご紹介して、本日のお話を終えたいと思います。
「口惜(くや)し涙の中から立ち上がる。その性根が、人生には大切だと思います」
「物を作ることも大事です。けれども、人の心を作るということはもっと大事なこと
であります」
おやつをバリボリ食べて、ゴロゴロしていると太りますよね。
ミニチョコをポリっと食べていると、息子さんから「太るよ」と突っ込まれました。
はい、何だかお肉が付いてきたような気が…マズイ、マズイ。
(いやぁ~最近暑くて散歩していないからなぁ…歩かねば!!)
明日は1回目のワクチン接種です。副作用が出なければいいなぁ~~♪
今日はおうちでのんびり…高田好胤さんの本をじっくり読んだ一日でありました。
ではでは!
最後までご覧いただいてありがとうございます! お礼申し上げます!!