今週のお題「2020上半期」
この度の九州豪雨では、熊本県をはじめ、大変な被害が連日報道されています。
熊本県の人吉市では球磨川が決壊し、街の大半が水に浸かってしまうという事態に
切なく感じています。
今回は、街の早期の復旧・復興を願う気持ちを込めて、
今から4年前になりますが、人吉をはじめ、南九州をぐるっと巡った旅の思い出を
ご紹介させていただきたいと思います。
鹿児島から肥薩線を北上し、人吉で下車、街を散策。
人吉からくま川鉄道を利用して湯前まで。
湯前からはバスで西米良村など谷あいを抜けて、宮崎県の西都へ。
西都原古墳群、高千穂を訪ねた後、大分の竹田城跡までの2泊3日の旅でした。
昔作った資料を交えながら、ご紹介したいと思います。
(お茶受け代わりにご覧いただけましたら、幸いです)
・・・ここから・・・
一日目:鹿児島⇒吉松⇒人吉⇒湯前⇒西米良⇒西都 (泊)
この旅では、まず鹿児島に前泊しました。
霧島市の隼人駅から人吉駅へと北上する肥薩線は、電車の本数が大変少ないです。
その日のうちに、宮崎県の西都へ抜ける行程を組んでいましたので、
鹿児島に前泊し、鹿児島中央駅から始発電車に乗って、隼人へ行くこととしました。
昔作った資料の表紙から。
ワタクシの大好きな戦国武将、竹中半兵衛の一族が、大分に近い、このあたりの土地を
ひと時治めていました(最後には改易…涙)。
豊肥本線には、今でも「竹中駅」ということで、その名が残っています。
前々から訪ねたい駅でした(冒頭から、ちょっとマニアックなお話でした(汗))
では気を取り直して…鹿児島から隼人へ。隼人からは肥薩線で北上します。
人吉駅への途中、吉松駅にて乗り換えです。
次の電車まで40分ほど、時間がありましたので、駅前の公衆浴場に寄りました。
その名も「吉松駅前温泉」。名前のとおり、駅の目の前にあります。
朝一番だったせいか、お客さんはワタクシの他に誰もおらず、のんびり入ることが
できました。柔らかいお湯でした。後から思えば、人吉と泉質が似ていたかも…
お風呂上がりは、お店オリジナルの豆腐をいただきました(むちゃくちゃ美味しい!)
吉松駅前温泉さんは、こちらの観光情報からもどうぞ。。。
長野県の姨捨、北海道の狩勝峠とともに、日本三大車窓と言われる肥薩線。
鉄道ファン垂涎の路線と言われていますが、県境の矢岳越えは遠くに山々が見える絶景
でありました(写真を撮ったのですが、なんとボケていて…後で涙しました)
列車は矢岳越えの際、スピードを落として、車内アナウンスをしてくれました。
こちらはスイッチバックの大畑駅。大畑と書いて「おこば」と読みます。
電車の行き違いのため、しばらく時間がありました。
ホームでのんびり撮影です。
まわりは何もない、のどかな駅でした(朝靄がかかって、いい雰囲気でした)。
まずは青井阿蘇神社へ向かいました。
806年に創建、1200年の歴史があります。
鎌倉時代から明治維新まで、この地を治めた相良家の歴代当主の保護を受けてきました
平成20年には、本殿、廓、幣殿、拝殿、楼門などが国宝に指定されています。
青井阿蘇神社のHPはこちらからどうぞ。。。
次は相良家の居城、人吉城跡へと向かいます。
日本三大急流と言われるだけあって、川の流れは速いですね。
(ちなみに三大急流、球磨川の他は、山形県の最上川、駿河湾へ注ぐ富士川です)
川沿いを歩いて、15分ぐらいでしょうか。城跡に到着です。
当時の城の縄張りを紹介する案内板もありました。
船着き場の跡地を見た後、城跡を登っていきます。
三の丸、二の丸、そして本丸に到着です。
本丸は意外と狭かったですね。
今、街の風景は一変していることと思います。
もう一度再訪し、こちらから街を眺めてみたいと思っていました・・・
城跡はきれいに整備されています。登城用の通路の幅は広かったですね。
昔は、球磨川の水運による交易で栄えたことでしょう。
今は、球磨川下りの出発地となっています。
球磨川の土手から人吉城跡を望んでみました。大きな城跡でした。
川のそばにある「人吉旅館」に立ち寄り、お湯をいただきました。
湯船に木の椅子(ベンチ)が沈めてあって、そこに座って、湯を編む。
なんて素敵なお風呂なんだろう~。
お湯も大変柔らかく、湯につかった瞬間、身体に成分が染みてくるような気がしました
案内していただいたお女将さんも丁寧な方でした。
笑顔で「ごゆっくりしていってくださいね~」と(温かいですね)。
入浴後は、小上がりで、風を受けながらひと休みさせてもらいました。
人吉旅館のHPはこちらです。温泉の雰囲気がよくわかります。
被災後、SNSでは人吉旅館を心配する声でいっぱいでした。
愛されている旅館なんだなぁ~。これから大変だと思いますが、
再び、あの柔らかいお湯に入れる日が来ることを切に願っております。。。www.hitoyoshiryokan.com
お昼は事前に調べてあった「好来(はおらい)ラーメン」さんへ。
黒いスープが特徴のお店です。
野菜もたっぷり、黒い色に反して意外とあっさり。美味しかったですねーー
熊本観光情報さんのHPからどうぞ~
好来ラーメンさんはこのあたり。右へスクロールすると、青井阿蘇神社、人吉旅館さん
があります。今回、決壊したのもこのあたりだったとか。
言葉になりません・・・・・・
再び、球磨川の河川敷に戻ってきました。
しばらく日差しを浴びながら、球磨川の流れをぼぉ~と眺めていました。
神社、お城を見て、温泉に入って、美味しいラーメンを食べて、
ちょっとひととき、のんびりさせてもらいました。
街も、人も親切で優しく・・・人吉、本当にいい街です!
次は相良家の菩提寺「願成寺(がんじょうじ)」へ行きました。
くま川鉄道でひと駅の「相良藩願成寺」駅から、歩いて数分のところにあります。
相良家は鎌倉時代、1205年に人吉荘の地頭に任ぜられ、今の静岡県相良(御前崎の近く
です)より移ってきました。
戦国時代には球磨川一帯を押さえるほど、勢力を強めた時期もありましたが、
寺の裏手には、相良家初代から37代までの歴代当主や一族の墓がずらっと並び
なかなか壮観です。
同じく熊本観光情報さんのHPからどうぞ~
願成寺を後にして、終点の湯前までとことこ、くま川鉄道で向かいました。
1両の気動車でかわいい。
高校生かな?通学の生徒さんでいっぱいでした。
今回の被災時にも、くま川鉄道は被災し、運行ができなくなっていますが、
通学の足に影響が出る、代替バスでは対応できないという報道が出ています。
このときの電車の混み具合を思い出し、確かに対応できないだろうなぁ~と感じました
湯前からは、バスを乗り継ぎ、西都へと向かいます。
ひたすら山越え、険しい谷あいの道を進みます。
西米良村の中心地「村所(そんじょ)」で、バスの乗り換えです。
上(の左下)の写真は、乗り換えした「村所」集落で撮ったものです。
このような険しい谷あいの土地がひたすら続きました。
余談ですが、村所から西都への途中、一ノ瀬ダムのあたりで運転手さんとこんな会話を
しました。客はワタクシひとり・・・
ワタクシ「Ⅴ字谷が続きますねー。運転大変でしょう」
運転手氏「まぁね、ちょっと距離あるかな(村所から西都まで1時間半!)」
ワタクシ「このダム大きいですね」
運転手氏「そうそう、あそこを見てごらん。浮舟があるでしょ。実は鯉の養殖をやって
いてね。結構大きいの捕れるんよ」
ワタクシ「へぇー、鯉ですか。ダムの水面まで降りて、上まで運ぶの大変なんじゃ…」
運転手氏「それはいいんだけど、時々、鯉を盗むヤツがいてねー」
ワタクシ「はぁ?鯉を??」
運転手氏「そうそう。一回、追っかけたことあるんや~」
・・・以下、武勇伝が続く・・・
景色も素晴らしかったですが、運転手氏のいろんな話も楽しかったです。
こういったご縁も旅の醍醐味、素晴らしさですね~~♪
初日の宿泊地、西都のバスセンターに到着するころには、日は暮れていました。
2日目:西都(西都原古墳群)⇒延岡⇒高千穂⇒延岡(泊)
翌朝、日が昇る前に、ホテルから西都原古墳群へと歩いていきました。
西都原古墳群は、西都市街から歩いて20分ぐらい。
高台に上がると、どーんと広い土地が広がります。
見渡す限り、古墳、古墳…そのような場所です(壮観ですよ!)。
訪問当時、ワタクシは大阪で仕事をしていたのですが、
散歩をしている女性に挨拶をしたら、以前、大阪の泉佐野に住んでいたとのこと。
もう地元に戻られて数年になるそうですが、娘さんがまだ大阪にいるということで
大阪話で盛り上がってしまいました。
最後に「お気をつけてね」と、その女性(60代とおっしゃってましたが)。
こちらも「お身体、どうぞご自愛ください…」と声掛けしました。
早朝に散歩している人はけっこういました。いい運動になることでしょう。。。
西都原古墳群は、大きくは第1から第3までの、3つのエリアに分かれます。
ぐるっと、ひととおり歩くと1時間以上はかかりますね。
日の出も見れましたし、朝食前の運動を兼ねて、ちょうどよい散歩になりました。
朝の爽やかな空気を感じながら(気持ちいい!)、広がる景色を楽しんで・・・
あちらこちらに案内看板があるので、助かります
西都原古墳群の古墳は、300基ほど。東西2.6㎞、南北4.2㎞の平場に点在しています
昭和27年に国の特別指定を受け、「風土記の丘」第1号となりました。
男狭穂塚、女狭穂塚といった大きな前方後円墳から、小さな横穴式の古墳まで、
様々なタイプの古墳があります。なかなか面白いですねー。
街から外れた高台に、こんなに広い土地があるとは…驚きです。
資料や写真を見るだけでなくて、実際に来てみないとわからないなぁ~と思いました。
西都原古墳群を紹介するHPもありました。よろしければどうぞ~~
歩いて、いい汗かいて、ホテルに戻りました。
シャワーを浴びた後、ホテルの1階で朝食バイキングです。
結構品数があって、満足でありました!
その日、ヤクルトの2軍選手の人たちも宿泊していて、同じタイミングで朝食でした
彼らは朝食後、慌ただしくバスに乗っていきましたが…。
宮崎キャンプかな?
こちらは宿泊したホテルのHPです。西都市内で唯一のホテルかも?
ホテルのスタッフさんは丁寧でしたよ~~
ワタクシも朝食後、バスで西都市を後にしました。
バスは、戦国時代、伊東氏が治めた佐土原城跡のそばを通り(車窓でも眺められてよか
佐土原からは、普通列車で延岡へ向かいました。
目的地はもちろん高千穂!
高千穂観光は、高千穂バスセンターが基点となります。
天岩戸神社は、バスセンターよりバスで15分ほどです。
高千穂峡は、歩いても行けますが、土休日は高千穂の観光地を巡るシャトルバスが
出ていて便利です(5分ほどで着きます)。
シャトルバスはこんな感じです(高千穂町観光協会さんのHPから)
昔は、延岡から高千穂鉄道という列車が走っていたのですが、2005年の台風14号で
被災し、そのまま廃線となってしまいました(乗ってみたかったのですが、残念!)
延岡駅からバスで1時間半ほど乗って、高千穂バスセンターに到着しました。
まずは、天岩戸神社へ。岩戸川を挟んで、西と東に本宮があります。
奥の天安河原へ行く際に、西本宮へ寄ることが多いとは思いますが、
せっかくの機会ですので、もしお時間があれば、川向かいの東本宮にも行かれてみては
いかがでしょうか(場所柄、人も少なく、静かで、お薦めですよ~)。
次は巡回バスに乗って、高千穂峡へ行きました。こちらは橋からの眺めです。
川の水が増水していたので、ボートは出てませんでした。
(残念!増水すると、ボートは中止になることがあります。どうぞご注意を~)
観光案内でよく見るエメラルドブルー、グリーンの川の色は、とても神秘的でした。
最後に、高千穂神社を参拝しました。
畠山重忠が参詣したという立て札もありました(秩父からここまで?遠くないか??)
高千穂町観光協会さんのHPもありました。こちらからもどうぞ~
観光バスがたくさん来ていて、人がいっぱいでありました。
(4年前ですからね…今はどうなっているのだろう…)
歩き回ったせいか、帰りの延岡までのバスは、ほとんど寝ていたような気がします。
車窓を何枚か。バイパス道路は高いところを通っていたので、眺めは良かったです。
その日の夜は、延岡駅前のビジネスホテルに宿泊しました。
晩御飯は、ホテル近くの居酒屋でした。
のどぐろを食べて、はしゃいでいたような…(あぁ、写真撮ってなかったです(涙))
三日目:延岡⇒大分⇒竹中駅下車⇒竹田(竹田城跡、広瀬神社)⇒大阪
翌朝は雨でした。始発の普通電車で途中の佐伯まで、佐伯からは特急で移動です。
大分まで、延岡駅のホームで出会ったおじさんとご一緒しました。
息子さんの結婚式で博多まで行かれるとか。地元大分の話や、おじさんの昔話などを
聞いていたら、あっという間に大分に着きました。
話していたのは、2時間くらいです。旅の出会いって、面白いですね。
大分からは、豊肥本線で竹田まで。途中、竹中駅で下車しました。
戦国時代の武将、竹中半兵衛の妹婿の竹中重利(半兵衛の従弟か甥らしい…)が、
府内藩初代として、治めた土地です。
残念ながら、二代重義で改易となりましたが、竹中の名前が残っている駅として、
一度来てみたかったのです。
(駅開業100周年だったみたい・・マニアックなお話で度々恐縮です(お許しを!))
荒城の月で有名な、竹田「岡城跡」です。城は険しい高台にあります。
絶壁の上にある城で(当日もきつい坂を登ることになり、難儀しました)、
この城を攻め落とすのは、どえらいことではないかな~と感じました。
(実際、戦国末期に島津氏が大友氏の支城となっていた岡城を何度も攻めましたが、
ついに落とせなかった…との記録もあります)
こちらは市のホームページです。よろしければ、どうぞ~
(岡城跡もいろいろ写真を撮っていたはずなのですが、データが見当たらず…
こちらで替えさせていただければ…すみません!)
最後、竹田駅へ戻る途中、広瀬神社へ寄りました。
竹田の街は、日露戦争時の旅順攻略で有名な広瀬武夫、戦前の最後の陸軍大臣阿南惟幾
のふるさとです。広瀬神社の一角で、阿南氏を紹介していました。
竹田の後は、別府で途中下車し、竹瓦温泉で砂湯を体感した後、大阪へ帰りました。
竹瓦温泉、このような紹介もありました。ご参考までどうぞ・・・
あっという間に過ぎた3日間でしたが、長年行きたいと思っていた、
肥薩線、人吉、西都原古墳群、高千穂、竹田の街に行けてよかったです。
人も街も、温かかったですね。
素敵な出会いと感動をありがとうございます。感謝です。
今は東京で仕事をしていることもあって、なかなか遠く・・・感じます。
でもまた、時期は数年先か、はたまたもっと先になるのかはわかりませんが、
再訪したいと思っております!
・・・ここまで・・・
昔の旅を振り返る「旅の思い出」シリーズも10回を重ねることができました。
第1回の京都北白川の「不動温泉」に始まって、今回の南九州まで。
改めて、写真や当時のこと、出会った方々、感動した自然、風景、温泉、食事・・・
懐かしい思い出でいっぱいです。
旅はワタクシに元気をくれますね。
旅に行って、本当に良かった。
感動と感謝の気持ちを忘れないよう、これからも旅を続けていこう~と思っています。
今回、「旅の思い出」のご紹介も、10回の節目となりましたので、第1回から第9回
までの記事もちょこっと紹介させていただけましたら…と思います。
(懐かしくなったものですから・・・えへへ)
よろしければ、こちらもお茶受け代わりに(ニコニコ)ご覧いただけましたら幸いです
・・・ここから・・・
①第一回:京都北白川の不動温泉へ行ったときの思い出です。
ワタクシのアイキャッチ画像は、不動温泉の浴室の写真を使っております♪
とにかく海がきれいでした! こんな色、見たことありません♪♪
③第三回:瀬戸内海を福山から今治経由で神戸まで、ぐるっと回った旅でした。
高松から神戸まで行くフェリー(愛称うどんフェリー)は良かったですね
④第四回:ワタクシのふるさと「富山県朝日町」を紹介した回。
ひとり懐かしく感じていました。。。
⑤第五回:ちょっと癒しの温泉へ行った、旅の思い出です。
場所は那須(栃木県)の板室温泉です。湯治スタイルに惹かれました♪
⑥第六回:与那国島と那覇を訪問した回でした。今週のお題「遠くへ行きたい」に
投稿したものです。焼失してしまった首里城を見るのは少し悲しい…
⑦第7回:豊臣秀吉が築いた肥前名護屋城、平戸や久留米、宇佐神宮と、
北九州をぐるっと回った旅の思い出です。名護屋城跡は絶景でした。
⑧第八回:隠岐諸島を巡った回でした。自然や人との出会いに感動しましたねーー
⑨第九回:祖谷温泉、かずら橋、剣山などを訪問した回。
祖谷渓谷の景色も絶景で、忘れ得ぬものとなりました・・・
今回は長い記事となりましたが、最後までご覧いただきまして、ありがとうございます
この度の九州豪雨で被害に遭われた方々には、重ねてお見舞い申し上げます。
復旧・復興への道のりは大変なことと思いますが、今度、再び現地へ訪問した際には
(できるだけ笑顔で接して)いろいろお話を伺いたいな…と思っています。
今後も機会がありましたら、旅の思い出に触れたいと思います。
今日は、これまでの旅を振り返った1日になりました。
(今週のお題「2020上半期」にちなんで、上半期の記事の振り返りも兼ねまして、
ご紹介しました♪♪)
ではでは!
最後までご覧いただいてありがとうございます! お礼申し上げます!!