昨日、今日と東京は暑かったですね~。
8月も終わりなのに、気温が35度…日中は外に出れませんでした。
さすがに今週は、気温も少し下がるとか…そうあってほしいです!
今年の夏は、結局どこにも旅に行けなかったなぁ~。
ちょっと寂しい・・・そんなときは、昔行った旅を思い出して、懐かしもう~♪♪
ということで、今回は、3年ほど前の旅を振り返ってみたいと思います。
伊勢の豪族北畠氏の発祥の地「美杉町多気」
後に戦国大名となった九鬼氏発祥の地と言われる、その名も「九鬼」
道中では、松阪、勝浦、太地にも途中下車して、ぶらりと街を散策しました。
大阪からの(当時は大阪に住んでいました)1泊2日の旅の思い出を、
当時作成した資料とともに、ご紹介したいと思います。
(お茶受け代わりにご覧いただけましたら、幸いです)
・・・ここから・・・
1日目:大阪⇒松阪⇒美杉町多気(北畠氏発祥の地)⇒松阪(泊)
今回の旅は、紀伊半島をぐるっと巡る旅です。
かねてから訪問したかった、伊勢北畠家の故郷「美杉町多気」と、志摩で戦国大名と
なった九鬼氏の発祥の地と言われる「九鬼」にやっと訪問することができました。
他にも、道中に寄りました松阪、勝浦、太地の街も、ちょこっとご紹介します♪
朝一番の始発電車に乗って、なんばへ。なんばからこれも始発の近鉄特急に乗って、
松阪へと向かいました。
12月に訪問したこともあって、桃山台駅では辺りはまだ真っ暗でした。
…確か、名張のあたりで日の出を見た記憶があります。
松阪駅に着いて、まずは松阪城跡へと向かいました。
(まだ、日の光が淡い時間帯でしたね~)
駅から歩いて15分ほど。松阪城跡に到着です。
朝の8時過ぎだったからか、人通りもほとんどありません。
それでは、松阪城の大手門跡から、お城跡へと入っていきましょう~♪
立派な石垣が残っていますね~ 。
ではクイズです!
松阪城を作ったのは、誰でしょうか??
「知ってるよぉ~♪♪」と言われそう~~😊
正解は、蒲生氏郷です。1588年に築城されました。
蒲生氏郷は幼少の頃、織田信長へ人質となりましたが、その才気を信長に愛され、
元服時には、信長自らが鳥帽子親となり、更に信長の次女を嫁さんにもらったとか。
あの信長にそこまで愛されるとは、よっぽど優秀だったんでしょうね。
蒲生家は、近江国日野が故郷ですが、氏郷は伊勢へ転封するにあたって、
(松阪市内には「日野」という地名もあります)
本丸跡まで登ってきました。眼下には街が広がっています。
遠くには、山々もきれいに見えていました♪♪
城跡はきれいに保存されていました。
ゴミもない…街の人に愛されているんだなぁ~と感じました。
誰もいない本丸跡で、しばらくぼぉ~としていました(まだ寝ぼけていたのかも…汗)
松坂城は、蒲生氏郷が奥州へ転封となった後、別の大名が城主となりましたが、
その後、紀州徳川家の藩領となり、明治維新を迎えることとなります。
松阪城跡の敷地内には、本居宣長の博物館「本居宣長記念館」と、
本居宣長が当時暮らしていた旧宅が保存されています。
偶然だったのですが、ワタクシが訪問した頃は、記念館の改修工事を行っていて、
記念館はお休みでした。
その代わりに、本居宣長が当時執筆していた書斎「鈴屋(すずのや)」に入ることがで
きました!
鈴屋は旧宅の2階にあるのですが、普段は部屋の中には入れないそうです。ラッキー♪
急なはしごを登ると、そこは江戸時代!!!
ここで本居宣長は「古事記伝」を執筆していたのかぁ~と思うと、感慨深かったです。
しばらく、窓辺で外を見ながら、ぼぉ~としていました(誰も来ませんでした…)。
普段は外からしか見れない鈴屋に入れて良かったなぁ~
(旧宅の1階はいつでも見学できます。宣長の暮らしぶりがわかって、いいですよ。
お薦めです!)
朝も早かったせいか、人もほとんどおらず、松阪城跡も本居宣長旧宅も、のんびりと
見学させてもらうことができました。
「早起きは三文の得」と言いますが、三文以上の感動をいただいたような気がします。
松阪城跡と本居宣長記念館さんのHPはこちらです。よろしければどうぞ~
松阪の城跡を堪能した後は、伊勢北畠氏の故郷、美杉町へと向かいます。
まずは名松線に乗って、山奥へと向かっていきます~~♪
(名松線も乗ってみたい路線でした!)
のんびりディーゼル列車の旅。列車の行き違いものどかでいいですね~~
途中、駅の近くにサルの群れが集まっているのが見えて、ちょっとビビりました(汗)
家城(いえき)駅を過ぎると、だんだん山間に入っていきます。
終点の伊勢奥津駅まで行かず、4駅手前の伊勢竹原駅で下車します。
ここからコミュニティバスに乗って、美杉町へと向かいます。
伊勢竹原駅は、えらいレトロな駅舎でしたね~。駅で降りたのは、ワタクシ一人でした
ここから、コミュニティバスに乗って、北畠神社へと向かいました。
駅を出て、バスはいきなり急な坂道を登っていきます。
下の地図の君ケ野ダムのそばを通って、しばらくは美しいV字谷が続きました~
バスに40分ほど乗って、ついに北畠氏の故郷、美杉町の多気地区に到着です!
まずは北畠神社に参拝します。
当時は、ここに北畠氏の居館と庭園がありました。
背後の山には、詰め城の霧山城がありました(登っている時間はなかったです…)
谷あいに沿って、平地が続いていました(土地が結構ありました…意外でした)。
越前の朝倉家の拠点、一乗谷と雰囲気が似ているかも…と思いました。
伊勢北畠氏は、北畠親房の三男、顕能が伊勢国司に任じられたことから始まります。
父親房、その長男顕家は、朝廷方として、南北朝に分かれた後は、南朝方として、
北畠顕家は一時、足利尊氏を破って、九州へ追い落としたことでも有名です。
(昔の大河ドラマですけど、太平記では後藤久美子が北畠顕家役を演じていましたね)
その頃から、北畠家は伊勢に地盤を広げ、公家がそのまま大名に、やがて戦国大名と
して、伊勢一帯を治めていくことになります。
北畠神社の主祭神は、北畠顕能公です。親房公、顕家公も合祀されています。
敷地内には、北畠顕家公の銅像や神社の由来、南朝方を祀る神社などが紹介されて
いました(参考になりました♪)。
北畠顕家公は、公家でありながら、文武に秀でた武将だったと言われています。
奥州鎮守府将軍として、陸奥国へ下向しましたが、建武の新政の混乱がなければ…
あと数年、奥州を治めていれば、足利家に匹敵する一大勢力となり得た可能性もある
と言われています。
(顕家公にご興味のある方は、小説ですが、北方謙三「破軍の星(集英社文庫)」なん
てお薦めですよ。当時の北畠家の立場がよくわかります。図書館にもありますので)
北畠神社さんに詣でた後は、お隣にあります北畠氏館跡庭園を訪ねました。
多気地区は、古くは奈良と伊勢をつなぐ伊勢本街道の宿場町として栄えました。
今でこそ、なんでこんな山奥に館を構えたのか?と、不思議に思うかもしれませんが、
昔は、奈良や京より伊勢へ出る折りには、ここ多気を通っていました。
北畠家が館を構えた往時も、伊勢への多くの人が行き交う要所だったんですね~。
(伊勢国の要の場所だったわけです)
冬枯れでした…他の季節だと、また違った景色を見せてくれるに違いない…
しばらく庭園跡で、ぼぉ~としていました。
いやぁ~何というか、あちらこちらに巧みに配置された石の表情が豊かです♪♪
訪ねたのが12月で時期柄、枯山水のような趣でしたが、新緑、紅葉の季節は、
お庭は、また一段と映えるだろうなぁ~と思いました。
越前(福井県)の朝倉氏一乗谷庭園、近江(滋賀県)の旧秀隣寺庭園と併せ、
日本三大武将庭園のひとつと言われています。
(北畠氏もそうですが、一乗谷も少し奥まった地域に、居館を築いていました。
当時はそんな土地(地理)感覚だったのかもしれません)
庭園を紹介する、津市さんのHPがありました。よろしければどうぞ~~
北畠神社、館跡庭園を訪ねた後、近くにある道の駅まで、のんびり歩いていきました。
伊勢北畠家は、戦国時代に入って、北畠晴具、その子具教の頃には、伊勢国だけでなく
隣国の志摩、伊賀などにも版図を広げ、北畠家として最盛期を迎えました。
そこへ現れたのが、織田信長です。
じわりじわりと圧迫を受け、最後は居城の大河内城を囲まれ、具教は降伏します。
信長の次男である織田信雄を、具教の子、具房の養子として迎えることとなりました。
しかしながら後に、具教は一族とともに、織田信雄に誅殺され、伊勢国は滝川一益が
治めることとなってしまいます。
こうして、伊勢北畠家は、最後は織田信長に乗っ取られてしまいました…。
次は、道の駅美杉から伊勢奥津駅まで、自転車で移動です!!
美杉の道の駅には、無料の電動自転車があると聞いていたので、道の駅のおばちゃんに
「電動自転車ありますか?」と聞くと、「今日、あるよー」とのこと。
おばちゃん、テキパキと動いて、自転車の空気圧まで測ってもらって、恐縮です!
(無料なのに~丁寧な対応! 嬉しいデス♪)
「車はスピード出すから、気を付けてね~!」と、おばちゃん。感謝です!!
国道422号線をひた走ること、20分ほどでしょうか、伊勢奥津駅に到着しました。
さすが電動自転車ですね!峠道も楽ちんでした♪
(景色はすごくいいーー下り坂でスピードが出ましたよ~~)
名松線は当時、一時の災害も乗り切って、復旧したところでした。
ちなみに名松線の、松は「松阪」なのは、すぐわかるのですが…
名は「名張」なんですよね。
当初の計画では、名張駅まで延伸する計画だったそうです。
(国道422号線沿いに、線路を引くつもりだったのでしょうか?)
伊勢奥津駅の構内に売店があって、そこで買ったあんころ餅が美味しかったです。
さぁ、帰りの電車が来ました。松阪へ戻りましょう!
北畠家所縁の土地に来れて良かった。今日はありがとうございました!!
松阪と言えば、やっぱり松阪牛!
地元で有名な宮本屋さんを訪ねました。
ビールとキムチで、今日の疲れをまずは癒します~。
「はぅ~~♪」最初の一杯は、ホントおいしいですー♪
次はお肉。さすが松阪牛!!
とろけるようなお肉は素晴らしいデス。甘辛いタレとよく合います!
カルビ、ミノ(大好きなんです、ミノ!)、お店のおばちゃんお薦めのハツ刺しも
いただきまして、〆はカルビクッパです。
ちょっと早めの夕飯でしたが、大満足でありました(そんなにお高くないです!)。
宮本屋さんのHPはこちらです。松阪にお越しの際はぜひ♪
こうして、ほぼフル活動の一日が過ぎていきました♪♪
(夜は爆睡でした!)
2日目:松阪⇒九鬼⇒勝浦⇒太地⇒大阪
翌日の朝は、始発の各駅電車に乗って、九鬼へと向かいました。
12月ですから、松阪駅はまだ真っ暗…松阪とは静かにお別れです!
駅そばもあったんで、本当は食べたかったんですけどね~。
途中、峠を越えるあたりで、夜が明けてきました。
船津駅では行き違いの電車を待つ間、ホームに降りましたが、空気がきれいでした~!
長~い旅路を終えて、九鬼駅に到着しました!
降りたのは、ワタクシひとり。そりゃそうですよね~(ふふふ)
電車が去って、トンネルに入ると…あたりは静まりかえります。
(これが”静寂”というものなのでしょうね~)
織田信長にも重用された九鬼氏。その故郷と言われる九鬼は、訪問したい街でした。
駅前の地図を見ると、九鬼の集落は駅から少し離れているのですね。
駅前は閑散としていました(駅前に店はないですねー)
さぁ、集落まで歩いていきましょう!海沿いの道を歩いていきます。
日が当たって、イイ感じ♪ 聞こえるのは、寄せる波の音だけです。
朝の海って、ワタクシ大好きなんですよ~~。
船が並んでいて、港町という感じです。
九鬼は静かな入り江でした。港では、ちょうどセリが行われていました。
(そばで見させてもらいましたが、結構、活気がありましたー。朝のセリって、久しぶ
りに見ましたよ~。でもサッと終わって、みんなすぐ帰っていきました(早っ!))
九鬼は「鬼」の文字を当てていますが、本来は「木」を使うみたいです。
神社の名前は、九木神社。
そう言えば、山を越えたところにある集落の名前は二木崎でした…二木、九木。
岩手県の一戸から九戸みたいに、一木から九木まであったのでしょうか?
本当は、岬の先端にある岬神社にも行きたかったのですが、九木神社から続く道の先に
サルの群れがいて、むちゃくちゃ怖かったので、あきらめました。
(コワイもん、サルたち…ひとりじゃなんもできんもん~~涙)
帰りがけ、ちょっと楽しみにしていた錦花堂さんに寄って「虎の巻」を買おうとした
のですが、まだ営業時間前とのことで(ええっ~)、泣く泣く断念♪
太っといカステラ巻きみたいなお菓子なんです(クリームが入っていて美味しいの)。
あまりにもワタクシがしょげているからでしょうか。
「耳をあげるよ!」ということで、もらったのが写真のものです。
タルトですね。結構おいしかった。おじさん、ありがとーー♪
東紀州地域振興公社さんが、錦花堂さんを紹介しているページを発見!
こんなお菓子です(お店兼工場で、ちょうど作っている最中だったんですよね~。
店の外まで良い香りが漂っておりました…食べたかったなぁ~)
ということで、九鬼駅まで戻ってきました。
アッと言う間に時間が経ってしまいました。
あーもう電車が来てしまった!九鬼のみなさん、ありがとうございました!!
九鬼を出発し、新宮で電車を乗り換えて、2時間ほどで紀伊勝浦駅に到着しました。
はるか昔、ブルートレインが走っていたころ(ホント昔の話ですね~)、
寝台特急紀伊という列車がありまして、その終着駅が、紀伊勝浦でした(東京発です)
そんな記憶もあって、いつか勝浦は訪ねてみたいと思っていました。
駅を出て、10分ほど歩くと、港に出ました。
目の前に海が広がります!
海は静かでした。タポタポ♪と…波が護岸に当たる音が聞こえます(落ち着きますね)
港のそばに「にぎわい市場」があって、出店がいくつか並んでいました。
いやー惹かれる!どうしよう~
でもこの後、太地でくじら料理を食べるつもりだったので、ここはがまん!がまん!!
声のデカいお兄さんが薦める「まぐろの三種握り」だけといたしました~
デッキに座って、海を見ながらいただきます♪
むちゃくちゃ旨いですね~口の中で、まぐろがとろけます…
上の写真の向かい岸に見える建物は、洞窟風呂で有名なホテル浦島さんです。
寄って浸かりたかったんですけれど…今回の勝浦の滞在時間は、1時間ほど。
浦島さんに立ち寄る時間はなかったので、今日は眺めるだけにしました。
(次来ようっと♪⇒って、いつやねん!)
こちらは市場さんのHPです。よろしければどうぞ~~
こちらはホテル浦島さんのHPです(寄ってないけど、お勉強ということで♪)
港のそばには、海の湯と鮪の湯という二つの足湯があります。
足湯に入って、海を眺めて…気持ちいいですね♪(風も吹いていて、なおGoodです!)
鮪の湯では、地元のおっちゃんたち3人が延々と地元談義をしてました。
「市長選に出る人がおらん」⇒「自民でもええが、街が寂れるばかりだぞ」
⇒「でも他にどうする」・・・etc
どこでも同じようなお話ですね。後継者、地域振興って、なかなか難しい。
足湯のお礼を伝えたら、笑顔で「ようおこし!」って、言ってくれたのが印象的でした
(「ようおこし」って、あまり言わないものかと思っていました)
帰り際、めはり寿司二代目さんに寄って、注文していためはり寿司を受け取り、
次の目的地である太地へ向かいました。
海の湯さん、鮪の湯さんはこちらのHPをどうぞ~。
源泉かけ流し100%ですし、無料ですから♪ 足湯、おススメです!
めはり寿司の写真を撮っていたはずなんですが、データがどこかへ行ってしまった!
ぐるわかさんのHPで何卒お許しください…。
めはり寿司とは、醤油味の高菜の葉でご飯を包んだおにぎりのような食べ物です。
めはり寿司さんは、注文を受けてから握ってくれますので、ホカホカですよ~♪
太地は鯨捕鯨の街として、有名です。
太地の集落は、太地駅から少し離れたところにあります(バスで5分ほどです)。
今回、くじらのフルコースを出してくれる「くじら家」さんにおじゃまして、
楽しみにしていたランチをいただくこととしました。
テーブルの上、壁のあちらこちらで、くじらの部位を紹介する案内がありました。
注文したのは、くじら家ランチ。ほぼすべてのメニューを食べさせてくれます。
捕鯨が禁止となる前は、学校の給食でも鯨の竜田揚げが出ていましたね(懐かしい♪)。
刺身は冷凍ものだったようで、ルイベみたいな感じでしたが、美味しかったです。
鯨は、今ではめったに食べられませんから…ゆっくり味わいました~
ちなみに、”さえずり”とは、くじらの舌のことです。プルンプルン?不思議な触感…
(どうしてさえずりという名前なのでしょう?鯨は、仲間と会話するから、口を使って
さえずるから…なのでしょうか?(勝手な想像ですが…それもまた楽しい♪)
くじら家さんのHPはこちらです。お昼のラストオーダーは2時だったみたいで、
勝浦でのんびりし過ぎたせいか、ワタクシ、2時ぎりぎりにお店に入りました。
(危なかったわー、でも着いた時間が遅かったので、ワタクシ、ひとりでのんびりと
くじら料理をいただくことができました♪)
その後は、腹ごなしに太地の街を散策、バスで太地駅に戻って、特急くろしお号で
大阪へ帰りました。
道中、紀勢線は海のすぐそばを通りますので、絶景でした。
(振り子式電車だから、スピードを落とさずにびゅんびゅん走るのもウレシイ!)
白浜を過ぎてから、勝浦で買っためはり寿司をいただきました(美味でしたよー)
ついに、伊勢北畠氏発祥の地「多気」、志摩九鬼氏発祥の地「九鬼」を訪ねることが
できました。
道中の伊勢奥津、松阪、勝浦、太地の街もそれぞれ趣きがあって、良かったです。
美味しい料理もいっぱいいただきましたし…えへへ(幸せ♪)
歴史、自然、食事、地元の方々との出会い…
1泊2日の駆け足の旅ではありましたが、今回も素敵な旅となりました。
お世話になったみなさまには感謝申し上げたいと思います。
ありがとうございました!!
・・・ここまで・・・
旅は、心を豊かにしてくれますね。
世の中が落ち着いてきましたら、またちょっとした旅に出かけたいなぁ~と思ってます
それまでは、時刻表とにらめっこしながら、旅のプランを思案していようかな!!
(それはそれで、また楽しい・・・)
今週も始まりましたね。8月もあとわずかです。
これからは、気候も変わりやすくなります。
みなさまどうかお身体ご自愛ください。
また機会があれば、旅の思い出に触れたいと思っています。
今日は、懐かしい思い出を振り返った一日でした。
ではでは!
最後までご覧いただいてありがとうございます! お礼申し上げます!!