8月の三連休は、あっという間に終わってしまいそうですね。
こんなに淡々と過ぎていく夏は、本当に久しぶりです。
家でごろごろして、高校野球を見たり、おいしいものを食べたり…
それはそれで悪くないのですが、うーん何か物足りないなぁ~と思ったり。
⇒やはり旅に行けてないからだ!・・おのれコロナっ!!
(って、吠えててもしょうがないですね(汗))
最近、長い距離を移動する旅は、ご無沙汰となってしまいました。
ああ、ふらりぶらりと、あちこち、旅をしたい!
気の向くまま、旅をしたいっ!!
でも、しばらくはガマンの日々になりそうですね(よよっ…涙)。
そんな自分自身へ、「頑張れっ!」という励ましの気持ちと、
昔、ふらふらと色々旅をしたなぁ~と懐かしむ気持ちを込めて、
今回は3年前になりますが、西へ東へと、ふらりと旅をした思い出を、
当時作成した資料とともに、振り返りたいと思います。
(お茶受け代わりにご覧いただけましたら、幸いです)
東京から飛行機で徳島へ入って、戦国時代まで活躍した三好氏発祥の地「勝瑞城」と
その後、徳島を治めた蜂須賀氏の居城「徳島城」
その後、ワタクシの大好きな万葉集の故地、藤原京跡と山の辺の道を巡る旅、
最後は温泉♪ 今回は和歌山の花山温泉と那須の板室温泉へと巡った旅をご紹介します
・・・ここから・・・
一日目:徳島⇒勝瑞⇒徳島⇒津山⇒大和八木(泊)
突然、謎の団地が現れましたが(毎度毎度、話が脱線しますが♪)、
大阪で仕事をしていた時は、千里ニュータウンに住んでいました。
ご縁のあった団地は、建て替えをすることになりましたので、建て替え前の姿を
記念に撮影したものです(今は、新しい建物になっているかも…)。
これから、こういった団地は古くなっていきますけど、どうするのかしら?
建て替えをしていくのか(費用もかさみますね)、ずっと補修し続ける訳にも…
人口が減っていくなかで…なかなか難しい課題ですね。
(では、気を取り直して…)東京からの最終便で徳島へ入りました。
晩御飯は勿論、徳島ラーメン!
「麺王」の本店(以前、高松駅前と神戸の支店で食べて、とても美味しかった…)と、
「よあけ」の2店をはしごしてしまいました。
⇒夜遅くにがっつり食べてしまった!身体に悪いですね(あはは…)
夜遅くて&食べるのに夢中で、写真を撮っていませんでした(すみません…)
代わりに、お店のHPでお許しいただけたら…
(歩いていると、徳島ラーメンのお店はいろいろありました)
駅前の東横インに泊まりましたが、翌朝、高徳線の始発電車に乗る前に、
蜂須賀氏の居城、徳島城跡へ行きました。
羽柴秀吉に仕えた蜂須賀小六(正勝)の子、家政が1586年に築いた平山城です。
その後、徳島城は徳島藩蜂須賀家の居城として、明治維新を迎えることになります。
今は城跡だけですが、石垣などが残っており、往時の姿が偲ばれます。
今でも城山と呼ばれる本丸跡は、標高61m。朝の散歩にちょうどよいのでしょう。
早朝でしたが、散歩をする多くの方に出会いました。
(みなさん、元気に挨拶してくれました…嬉しいです!)
次は、三好氏発祥の地「勝瑞城跡」へと向かいます。
高徳線に乗って三駅目、その名も勝瑞駅で下車です。小さな駅でした。
駅から歩いて、10分ほどで勝瑞城跡に到着です。
今年の大河ドラマ「麒麟がくる」で、三好長慶が出ていますが、三好氏は阿波の出です
阿波の守護は細川氏でしたが、その守護代として三好氏が台頭していきます。
やがて長慶の代になると、摂津へ進出。兄弟一族で力を合わせて、守護、管領ひいては
足利将軍も傀儡として、織田信長が上洛するまでの間、三好政権を作り上げます。
(いわゆる下剋上ですね!)。
勝瑞城跡を見た後、すぐ近くの勝瑞城館跡を訪ねました。
事実上、ここが阿波国の政庁でした。
蜂須賀氏がやって来るまでは、阿波の中心地は徳島ではなく、この館がある勝瑞でした
訪問した3年前も発掘作業は続けられており、東西2㎞、南北1.5㎞という広大な敷地
の規模からも、往時の盛況さが偲ばれます。
史跡を詳しく案内する看板があちらこちらにあり、参考になります。
発掘調査のあゆみも紹介されていました。敷地には鉄工所があったそうです。
鉄工所の下に、そのような史跡があるとは…不思議ですね。
(鉄工所さんのご協力には、感謝です(とは言え、いろいろあったことでしょう~))
早朝でしたので、ワタクシひとり、じっくりと見学させていただきました。
あちらこちらに、写真も交えた丁寧な説明板が設置されていました。
やけど虫っているのですね?(知りませんでした…)
⇒刺されたら、痛そうだ・・・
枯山水庭園もあったようです。今は広場のようになっていますが、
当時の建物はどう配置されていたのかな?人の出入りは??
なんて想像するのも楽しいです。
(しばらくベンチに座って、そんなことを考えていました)
さぁ、朝食がまだですので、いったん徳島のホテルへ戻ります。
再び勝瑞の駅へ。高校生が何人かいましたね~~。
藍住町さんが勝瑞城跡の紹介をしています。こちらもよろしければどうぞ~~
syugomati-syouzui.sakuraweb.com
昨夜お世話になった「よあけ」の前を通って、ホテルへ戻りました。
東横インさん定番のプチ食べ放題モーニング♪
地域によって、おばちゃんの味が違っていて、面白いです。
東横インさんは、当日でも午後4時までなら無料でキャンセルできるので重宝してます
眉山も登りたかったのですが、朝はロープウェーはやっておらず(当然ですよね!)。
泣く泣くあきらめ…残念!(ごめんなさい、さだまさしさん。いつか山頂行きます!)
⇒いつやねん!って、感じですね(ふふふ)
次はぐるっとまわって、岡山県の津山を目指します。
まず徳島線から。特急「剣山」に乗って、阿波池田へ向かいました。
⇒阿波池田界隈の、土讃線のV字谷の車窓をもう一度見たくなったので、大回りです♪
徳島線は途中から、吉野川が見えてきます。川の流れ、きれいでした~~。
その後、土讃線、瀬戸大橋、伯備線と乗り継いで、新見で途中下車しました。
なぜこんな大回りをしているかというと、一度姫新線(その名のとおり、姫路から津山
を通って、新見まで向かうローカル線です)に乗って見たかったから♪♪
(道中、車窓に夢中で、電車やら景色を撮ってなかった!すみませんっ!!)
ということで、あっという間に津山に到着!した感がありますが、
実際は、徳島から津山まで5時間かかっております(爆)。
早速、津山城跡へ訪問です。駅から歩いて15分ほどで到着です。
津山城跡は、本能寺の変で有名な森蘭丸の弟、森忠政が築いた城です。
鶴山(かくざん)と呼ばれる、標高147mの山頂に本丸を置き、二の丸、三の丸と
各所に77もの櫓を備えたお城だったとか。
1603年に津山藩18万石の初代藩主となった忠政は、築城に着手、
13年後の1616年に津山城が完成しました
(13年も時間をかけてます!さぞや立派なお城だったのでしょうね~)
なお、森家は4代長成で改易となり、その後、松平家が藩主となって、明治維新を迎え
ることとなります。
現在、城跡は「鶴山公園」として整備されています。津山は戦国時代末期までは
「鶴山」と呼ばれていたそうです。
公園は入場料をとられるので(500円でした)、散歩する人も少なく、当時の石垣や
登城路などをじっくり見ることができました。
(個人的には、市民に無料で開放した方がいいような気もしますが…まぁ、お城の
維持管理には、大層なお金がかかるのでしょうね…)
しばらく急な坂道を登っていくと、本丸に着きます。
本丸、意外と広いです。結構、山を削ったのかな?
備中櫓が復元されており、中に入ることができます。展示物がたくさんありました!
当時の天守の姿などを見ることができます。
(お城は、明治時代に入って解体されてしまいました。写真が残っていました~
立派な城です…実にもったいない!)
天守台からの眺め。眼下に街が広がる…絶景でした♪♪
右上の写真が、復元された備中櫓です。天守台からは、360度見渡せます。
晴れて良かった!!
太陽の日差しもジリジリと暑いので、そろそろ降りましょう!
次の電車の時間も迫っておりました・・・
登城路もこのように広く、しっかり整備されていました。石垣も見事です!
最後に備中櫓を振り返って~(ありがとうございました!)。
津山城跡は、津山市さんもHPで紹介しております。よろしければどうぞ~
吉井川を渡って、津山駅へと戻りました。
佐用駅で乗り換えました(これで姫新線は全線乗車することができました♪)
大阪環状線、近鉄大阪線に乗って、本日の宿泊地、八木に到着しました。
当日のお宿はこちら、橿原シティホテル。
橿原界隈は、ホテルがあまりありませんので、ワタクシ重宝しております。
翌朝、日の出前にホテルをチェックアウトし、歩いて藤原京跡へ向かいました。
ひとり、誰もいない大極殿跡で、広ーい空を見ながら(電線など遮るものなし!)、
朝食タイム♪ 優雅なひとときであります~~
藤原京は、今から1300年ほど前の694年に、4年の月日をかけて完成しました。
東西4.8㎞、南北5.2㎞。初めて都城制を敷いた都といわれており、
最盛期には3万人の人々が暮らしていたそうです。
持統、文武、元明天皇の三代が治めた都でしたが、710年に平城京へ遷宮しました。
大極殿跡から南を眺めると、左手に天の香具山、右手に畝傍山、後ろを振り返ると、
かつて、ここで持統天皇が、
「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天の香具山」
と詠んだ、同じ光景をワタクシも見ているのかな~と思うと、
感じ入るものがありました。
ワタクシの大好きな万葉集の碩学、犬養孝先生の「万葉の旅(平凡社ライブラリー)」
で紹介されている写真には、ここ藤原京跡は、田んぼが広がっていました。
きっといろいろなことがあったのだと思いますが、今では敷地内は整備されて、
隅々まで巡ることができます。
こんな風に、当時も柱が並んでいたのでしょうね・・・
敷地の中央に立つと、万葉集で詠われた、大和三山(天の香具山、耳成山、畝傍山)
二上山、葛城・金剛山、三輪山…といった山々すべてを眺めることができます。
いろいろ考えられ、計算し尽くされて作られた都なのだ!ということがよくわかります
史跡は、現地に足を運んでこそ、わかる、体感できるものなんだと思います。
お城巡りもそうですが、やっぱり現地に行って、実際にこの眼で見るって大切ですね
(なんでもそうかもしれませんが…)
耳成山は穏やかな稜線です。なので、万葉集の中大兄皇子の歌(三山の妻争いの歌)
「香具山は、畝火ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし
古も 然にあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき」
にある、耳梨(耳成)山は女山ではないか…という説もあるのでしょうね。
(男山であるという説も有力ではありますが・・・)
次に、天の香具山へ向かいます。いったん藤原京跡から離れて、東へ移動です。
万葉集の故地を撮り続けた写真家、田中真知郎さんの「万葉の大和路(1983年講談社)
で撮られた、同じ場所に立ってみました(左下の写真です)。
アングルはともかく、往時とそれほど変わっていないことにビックリしました♪
万葉の大和路で田中さんの写真を見ながら、犬養先生の文章を読むと、あたかも現地で
眺めているかのような気持ちになります。
(図書館にもあるかも・・・万葉集にご興味のある方、お薦めです)
香具山を間近で見て、再び藤原京跡に戻ってきました。
どーんと広がって、いい眺めです。風もさぁ~と吹いてて、気持ちいいです!
宮殿があった当時は、耳成山を背景に、さぞや雅な景色が広がっていたことでしょう~
(想像するのは楽しいです!)
さて、時間も過ぎましたので、耳成駅へと向かいましょう~
耳成駅前には、橿原市内を紹介する大きな案内看板もありました。
次の目的地は、山の辺の道です。
山の辺の道は、日本の古道のひとつです(現存する最古の古道だそうです)。
奈良盆地が湿地だった頃、それを迂回するように、山沿いに道が出来ました。
山の辺の道はそんな大和古道のひとつ。奈良市の春日山から桜井市の三輪山まで
つながる古道です。
山の辺の道は、大きくは北部と南部に分かれ、道が整備されている南部、桜井駅から
天理駅までのルートが人気です。
当時の雰囲気が残っているような場所もあって、ハイカーさんたちの憧れの道でも
ありますよ~~(長年、歩いてみたかったのです!)
全部歩くと、ウン時間かかって大変なので、今回は桜井駅から柳本駅までの12kmを
目標としました。
初瀬川(長谷寺の長谷⇒初瀬と読みます)を渡ると、仏教伝来の地の案内看板が。
初瀬川は、下流へ下ると大和川となりますが、川を遡って東の伊勢へ抜ける街道と、
南北の道が交差するこの地は、交易の市が建って、大層賑わっていたそうです。
(海石榴市と呼ばれていました)
海石榴市観音、金屋の石仏を訪ねながら、趣のある道を進んでいきます。
(道幅が狭いところもあります。朝早いとケモノが出そうで、ビクビクしますね~)
大神神社に到着しました!お参りいたします~
祭神は大物主大神。三輪山自体がご神体ですので、本殿はありません。
「拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を配するという原初の神祀りの様を伝える
我が国最古の神社です(大神神社HPより)」
という歴史ある神社さんです(雰囲気もすばらしいです)
HPはこちらになります。
大神神社に続いて、狭井神社を訪ねて、どんどん進んでいきました。。。
道中、振り返ると大和三山がよく見えます。晴れれば、更に遠くの葛城山、金剛山も
よく見えることでしょう。
山の辺の道は、石畳の道だったり、未舗装の道があったりと、味があります。
当時もこんな雰囲気だったんだろうなぁ~と感じることができます。
(雰囲気が、おどろおどろし~いところもあったりしますよ♪)
そういったところも、ハイカーさんたちに人気の理由のひとつなのかもしれません。
狭井川を渡って、しばらく進むと蓮の花が咲いていました。
やがて、桧原神社に到着です。
こちらも歴史ある神社さんです。大神神社と同じく、本殿はありません。
ちょうど神主さんがお供えをしているところでした。
毎日ごくろうさまです…と、ちょっと声掛けを(うるさいっ!てか?(笑))
桧原神社の鳥居の向こう、二上山へ沈む夕日はすばらしいそうです。
シャッターチャンスを捉えようと、多くの方が来られるとか。
ワタクシも、見てみたいと思いました(夕陽大好きでして!)。
更に、どんどん進んでいきます!
車谷の集落の手前で、大和の青垣山の説明がありました。
「大和は 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる 大和し うる(美)はし」
確かに、大和の山々は青くみえますねー。「青垣」とは、よくぞ名付けたもので…
山の辺の道は、道案内が丁寧です。曲がり角には必ず案内看板があるので、道に迷う
ことは少ないと思います。
遠くに景行天皇陵が見えてきました。だんだんと終わりが近づいている感がします。
青垣の山を眺めたり、神籬を訪ねたり、道の両脇には田んぼがあったり・・・と、
歩いているだけで和みますね~~
景行天皇陵に到着!大きな古墳です。
正式名称は、渋谷向山古墳。全長300mもある、とても大きな前方後円墳です。
4世紀の古墳としては、日本最大の規模でもあります。
それだけの王朝・権勢が、この土地にはあったのでしょう。。。
山の辺の道は、田んぼがあったり、畑があったり、この橘のように果樹園があったりも
します。のどかな風景が続き、ほんと癒されます・・・😊
(果物、野菜を勝手に採ってはいけませんよーー!)
正式名称は、行燈山古墳。今回の旅はここまでですね。
足も突っ張ってきましたので、さすがに限界が近づいているかも♪
(早朝の藤原京からずっと歩いていたし・・・)
続きはまた今度。今日は道を左に折れ、柳本駅へと向かいます。
崇神天皇陵も大きいですね~。全長は242m、これも大きな前方後円墳です。
宮内庁さんも、管理をするのは大変なことと思います。。。
ついに柳本駅に到着!!12kmを3時間、なかなか良いペースだったと思います。
山の辺の道、人気の天理~桜井ルートの案内がありました。
本日は②のルートを南から北上しました。
①はまた今度ですね!(実は、数年後に歩きました。そのお話はまた今度♪♪)
長年行きたかった山の辺の道。メインルートの半分を走破しました。
いやー、楽しかった!いい汗かいたし。
万葉集で詠われた光景も想いながらの3時間、感動と感謝であります♪
山の辺の道は、近鉄さんが「てくてくまっぷ」というものを出されていて、参考に
なりますよ。共有させていただきたいと思います。
疲れを癒すためには・・・温泉ですね!!
ということで、電車を乗り継ぎ、和歌山の花山温泉へと向かいます。
この車窓は特急くろしおから。ちょうど、阪和線の山中渓のあたりで撮影♪♪
紀見峠を越えると、眼下に和歌山の平野が広がります(この風景も好きです)。
紀ノ川を渡って、和歌山駅に到着です。
駅からはタクシーで7分ほど。本日のお宿「花山温泉」に着きました。
花山温泉は、知る人ぞ知る、温泉マニア垂涎の温泉です。
和歌山市内に湧く、炭酸泉であります(宿の敷地内に、泉源があります)。
しかも、高濃度といわれる1000ppmを超える濃度があります。
100%源泉で、惜しみなくかけ流してくれています。
(建物の一角で、自噴している様子を見ることもできます)
こちらでは源泉浴槽、35度の浴槽、熱めの浴槽と、露天風呂の4種類の源泉浴槽で
温冷浴を楽しむことができます。
本物の温泉、しかも炭酸泉源泉100%で温冷浴を味わえる場所はそうそうありません。
花山温泉は、ワタクシの大好きな温泉ベスト3!!に入る温泉です。
歩き通した疲れを癒させていただきました。
もちろんご飯も美味しかったです。
宿のスタッフの方々も、明るくて、温かくてよろしいですよ~。
こちらでちょっとマニアックなお薦めは、マッサージ(整体)です。
フロントの隣に、マッサージの部屋がありまして、風呂上がりにマッサージを受ける
ことができます。整体の先生はふたりいますが、ワタクシは八木さんという先生に
定期的に体を治してもらっています(東京に行ってからも通ったりして!)。
八木さんの整体のいいところは痛くないところ。かつ、効果はしばらく持続します。
ここはこうしたらいいですよ~とか、ストレッチのやり方もアドバイスしてくれます。
ワタクシにはウマが合ったのだと思いますが、お値段もそれほど高くないので、
もしお立ち寄りの際は、ひとついかがでしょうか?
今回も「あっ、お久しぶりですね~」と、飄々と60分、みっちり整体していただき
ましたー😊
…と八木さんのアピールが長くなりましたが(ふふふ、応援したいので!)
八木さんのHPはこちらです。
最後に花山温泉のHPはこちらです。
お近くにお立ち寄りの際、よろしければいかがでしょうか?
日帰りのお客さんが多いです。夕方になると、泉質もあるのでしょうか、お値段が
少しお安くなります。
⇒日帰りのお客さん、むっちゃ多いです!
こうして、西への弾丸旅行は終了いたしました。
このまま帰宅しても良かったのですが、もう少し温泉に浸かりたいなぁ~と思い、
そうだ!(もうひとつ行きたかった)栃木県那須の板室温泉へ行こうと思い立ちました
以前に、旅の思い出~その5~でも、板室温泉をご紹介いたしましたが、
この時のお話になります。
今回は、写真を中心に(ちょこちょこっと)紹介いたします~~
前から行きたいな、と思っていました、板室温泉の山本荘さんに電話したら、
「空いてますよー」とのお返事でした。
これは向かうべしっ!ということで、一度自宅へ戻った足で、そのまま那須へと
旅立ちました~~(ふらふらするオトコだわいーー爆)
東北新幹線の那須塩原駅から在来線で一駅、黒磯駅が最寄り駅です。
板室温泉にはバスで向かいます(バスで50分ほどです)。
お風呂に入って、夕食タイム♪
こちらの山本荘さんは湯治もやっているせいか、朝食夕食、ともに部屋食です。
なかなかおいしゅうございました~
こちらは次の日の朝食。ボリュームは結構ありました(満足です)。
配膳は、宿のおばあちゃんやおばちゃんが持ってきてくれます。
食後は、お客が廊下へ置いておく⇒あとでおばちゃんたちが取りに来る…スタイルです
湯治宿ならではですね~廊下には共用の冷蔵庫があったりもします。
静かな、のんびりできる環境です。
(ただ、サルが出るらしく、窓はカギをしててね、と宿の方には言われました)
こちらが浴室。露天風呂はありませんが、38度ぐらいの湯温、源泉100%のお湯。
のんびり浸かることができました♪
翌日のお昼。宿の近くのお蕎麦屋さん「やしお」さんで。
小鮎のから揚げ、お蕎麦などなど・・・地元のお酒と一緒にいただきました。
美味しかったです~♪
宿の向かいには、板室の自然を紹介する施設があります。歩いて数分の、板室ダムでは
カヌーもできます(当日もカヌー教室をやっていて、楽しそうでした)。
もう1泊する予定でしたが、急遽仕事が入って、帰京することに(涙)。
快諾してくれた宿のおかみさんには感謝です(おみやげのフキまでいただいて…)
夕食をいただいた後、最終バスで帰りました~~
こちらがお宿「山本荘」さんのHPになります。
西へ東へと、駆け足で廻った旅でした。
こういう旅も、今は、なかなかできなくなってしまいました(涙)。
でも、また落ち着いたら、ふらりと訪ねて、近況を報告したいなぁ~なんて
想ったりもしています。
・・・ここまで・・・
ちょっと長い旅のご紹介となってしまいました。
(最後までご覧いただいて、本当にありがとうございました!)
旅はワタクシをリフレッシュさせてくれる大切な存在です。
なかなか今は、エィッと行けない状況ではありますが、いつか必ず、
また自由に旅へ行けるときが来ると思っています。
そのときを楽しみにしつつ、どこへ行こうかな~と計画(空想?)しながら、
日々やっていこうかな~なんて思っております。
今週も暑い日々が続きそうですね。
みなさま、どうかお身体ご自愛ください!
また機会があれば、旅の思い出に触れたいと思っています。
三連休の最終日は、旅の思い出に浸った一日となりました。
ではでは!
最後までご覧いただいてありがとうございます! お礼申し上げます!!