げんさんのほげほげ日記

その日に感じたことや、これまで考え続けてきたことなどを 徒然なるままに綴っております(雑話的なブログです)。 好きな読書を通じた、こんな本もありますよ~といった紹介や、 これまでの旅の思い出などにも触れていけたらな、と思っています。 (ブログの機能なども日々勉強中!)

旅の思い出~その26~大和国の万葉集の故地を訪ねて…(奈良・宇陀、忍坂、朝倉、奥明日香と談山神社を訪ねて♪)

奥明日香、稲渕界隈で見かけた入道雲さん…夏らしい一日でした

今年も暑い夏がやってきましたねー。

あー、どこか遠くへ旅に行きたい!

う~ん、でも感染者が急増して、遠出はちょっと難しいかな…。

あぁもじもじする…旅に行きたい♪♪

はい、そんなときは以前旅した思い出を振り返るのが一番ですね!

ということで、今日は久しぶりとなりますが、旅の思い出をご紹介したいと思います。

今回は前回ご紹介しました、こちらの旅の続きになります♪

genta-san.hatenablog.com

竹田城跡を訪ねた日の夜は大阪市内に泊まりました。

今回はその翌日の旅…大和国(今の奈良県ですね♪)の万葉集の故地を訪ねた思い出を

ご紹介いたします。

(ワタクシ、万葉集が大好きなものですから…コツコツ故地巡りをしております😊😊)

~~ここから~~

今回の行程:大阪⇒宇陀⇒忍坂⇒大和朝倉⇒談山神社⇒奥明日香⇒大和八木(泊)

早朝の大阪難波駅。始発の近鉄特急でまずは榛原駅へと向かいました。

二階建ての列車ってかっこイイですね(勿論、二階席に座りました♪)。

まず向かったのは宇陀(うだ)の地です。

万葉の頃は「安騎野(あきの)」と呼ばれ、柿本人麻呂軽皇子(後の文武天皇

とともにこの地を訪ねた際に詠んだ歌が広く知られています。

最寄りの榛原駅までは大阪難波駅より特急で40分ほど。駅からはバスで20分ほど

乗ると宇陀の地に着きます。

大宇陀高校前のバス停で下車して、まずは阿紀神社へと向かいました。

阿紀神社に宇陀の街を紹介する案内看板がありました)

てくてく歩いていくと、向こうに阿紀神社が見えてきました。

まだ朝の7時半過ぎ…歩いている人は誰もいませんでした。

さぁ、橋を渡って神社の境内へ…静かな佇まいでありました。

橋を渡ると、神社の案内看板がありました。

こちらが本殿です。阿紀神社は宇陀の地で最も古い神社といわれています。

祭神は天照皇大神など…神代に神楽岡に創建され、祟神天皇の勅により神戸大神宮の号

を賜ったとされています(伊勢神宮と同じ造りのお社さんなんだとか…)。

安土桃山時代に現在の地に移り、その際に今の”阿紀神社”の社名に変わりました。

こちらは江戸時代に建てられた能舞台。現在でも能が上演されています。

(”あきの蛍能”と呼ばれ、上演中に明かりが落とされ、蛍が放たれる能だそうです…

 素敵ですね~一度見てみたいです♪♪)

宇陀の地は江戸時代の初期、織田信雄公の流れを組む織田家の領地(宇陀松山藩・2万

8千石)でした。その後、信雄の孫にあたる織田長頼公の頃より、この能舞台で能が

上演されるようになったそうです。

織田家は五代信休の時に丹波国へ転封となり、その後は幕府の直轄領となりました)

元伊勢とも呼ばれる阿紀神社…その歴史の一端に少し触れさせていただきました。

次に向かったのは、阿紀神社のそばにある「大宇陀かぎろひの丘万葉公園」。

前方に見える、こんもりとした丘全体が公園となっております。

歩いているとこのような看板を発見!古いお土地柄であることが良く分かります。

壬申の乱のとき、大海人皇子は宇陀の地を通って行かれたのですね!)

大海人皇子もこの辺りを駆けていかれたのかも…感慨深いです…。

ほどなくして公園に到着。入口に公園の案内図がありました。

阿騎野の万葉歌碑がありました。

「東(ひむがし)の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ」

持統天皇の子、草壁皇子は若くして亡くなりました。

寒い冬のある日、柿本人麻呂は、草壁皇子の忘れ形見である軽皇子随行して

安騎野の地を狩りに訪れた際、この歌を詠んだといわれています。

山野の夜明け、凍える中、東の方角を眺めると薄明るい光(かぎろひ)が見える…

振り返って西方を見上げるとまだ暗い夜空の向こうに薄暗い月の明かりが見える…

そのような光景を詠ったものであったのかもしれません。

当時もこの丘の上に野営していたのかもしれませんね…。

(ワタクシが訪ねた日は夏でしたので、蚊がたいへん多くて困りました…!)

こちらが東(ひむがし)の方角。いい眺めでした。遠くに高見山も見えました。

かぎろひのイメージを紹介する案内看板がありました。

今もかぎろひは、12月の限られた条件の日しか見ることができないとか…。

(一度見てみたいものです♪♪)

丘の麓の安騎野人麻呂公園に柿本人麻呂の像がありました。東を見つめていました

遠くを眺めて…立派な騎馬像でありました(当時の馬はもっと小さかったかも…♪)。

人麻呂公園を紹介する看板もありました。

古代より安騎野の地は薬草が採れる場所として有名でした。薬園もありました。

(今も宇陀は製薬の町としても有名です。街中には「薬の館」という博物館もあり、

 宇陀の薬の歴史も紹介されています)

往時、男性は狩りに訪れ(鹿の角は薬になったとか…)、女性は薬草を摘みに安騎野の

地にやってくることもあったそうです。

 

柿本人麻呂は安騎野の地で三首、歌を詠んでいます。

「ま草刈る 荒野にはあれど 黄葉(もみちば)の 過ぎにし君の 形見とぞ来し」

「東(ひむがし)の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ」

「日並(ひなみし)の 皇子の尊(みこと)の 馬並(な)めて み狩立ちしし 時は来(き)向かふ」 

亡き草壁皇子を追慕するとともに、冬の安騎野の自然の厳しさを詠った歌ともいわれて

います。

 

宇陀の地は一度訪ねてみたいと思っていました。

静かな雰囲気の街ではありましたが、往々に古の歴史を感じる場所も多く、

しばし佇むこともしきり…訪ねることができて良かったです。

(本当はかぎろひも見てみたいものですが、冬の早朝ですから…

 寒さに弱いワタクシにはちと厳しいかも…😊😊)

さぁ、バスの時間が近づいてきました。そろそろ行きますか!

(宇陀へやっと訪ねることができました…みなさま、ありがとうございました!)

こちらは宇陀市さんのHPより。宇陀の歴史が紹介されています。古くから人が住んで

いたようですね♪♪

www.city.uda.nara.jp

宇陀を後にして、次に向かったのは宇陀のお隣り、桜井市にある舒明天皇陵。

再びバスに乗り、女寄(みより)峠を越えて、御陵がある忍坂集落に向かいました。

峠を越えると、道はひたすら真っすぐ…一本道を下っていきます。

意外と交通量は多かったです。宇陀から桜井へ抜けるバイパスの役割を果たしている

のかもしれません。

途中の粟原集落を眺めて…家が点在していました。

お住まいの方はいったいどのような生業をなさっておられるのか…。

田畑?山林?それとも…?(興味津々であります)

宇陀から20分ほどで、忍坂に到着しました!降りたのはワタクシひとりでした♪

遠くに見える山は音羽山です。

バス停のそばに、周辺の案内図がありました。

目指すは舒明天皇陵、鏡女王押坂墓、大伴皇女墓です。

(道中の万葉歌碑も訪ねたいです♪)

忍坂の集落を歩いていると、なんと神籠石(じんごいし)を見つけました。

街中に当たり前のようにある風景…さすがは大和国だと思いました!

神籠石の説明看板もありました…ちご石とも呼ばれるのですね♪

(石を割ると血が出る…というのは凄いかも!)

更に進むと、陵墓が見えてきました。

ワタクシ、陵墓の静まりかえった雰囲気が結構好きです。

舒明天皇陵に到着しました。敷石が綺麗に整えられていました。

舒明天皇、鏡女王、大伴皇女を紹介する家系図

舒明天皇は天智、天武両天皇のお父さんです。

鏡女王は藤原鎌足正室になった方で、あの額田王天智天皇天武天皇のおふたりが

愛したお方ですね♪)の姉ともいわれていますが、本当のところはわかっていません。

では鏡女王の陵墓へ向かいましょう。

しかーし、ここで大問題が発生!

めちゃめちゃ蚊がいるんです!大軍になってまとわりついてきます!!

(キャー!払っても、払っても、追いかけてくるー!!)

まさか蚊がこんなにいるとは思わず、虫よけスプレーを持ってこなかったんですよね。

⇒やってしまいました…さっきの宇陀の公園でも蚊がいっぱいいたなぁ~。

一本道の向こうに鏡女王墓が見えてきました。

実は蚊を撒くため、全速力で走りながら撮影しています。

(なので、ちょっとピンボケしているかも♪)

こんもりとした丘…まるで古墳のようですね。

鏡女王墓は宮内庁の管理ではなく、民有地なんだそうです。

以前は19本の立派な松の木がありましたが、今では全て枯れてしまい、

代わりに杉の木が植えられました。

(地元の忍坂の方々がお墓を管理されています…陵墓の維持管理は大変だと思います)

鏡女王墓を紹介する看板もありました。以前の整然としていた頃の写真も!

藤原鎌足が惚れて、惚れて、惚れた女性だったのですよね、確か…😊

(当時は天皇の愛した妃が臣下に与えられることはありませんでした。鎌足の功績を

 称えて、特別に認められたものだったそうです…)

本当は更に奥の大伴皇女墓も訪ねたかったのですが、もう蚊が凄すぎて限界でした!

残念ながら…泣く泣く撤収することにしました。

(撤収と言いつつ、全力ダッシュで退散でありました…トホホ)

途中、ワタクシの敬愛する万葉学者、犬養孝先生が揮ごうした歌碑も撮影したものの

走りながらでしたので…このとおりボケボケでしたぁ~涙。

(代わりにこちらの桜井市観光協会さんのサイトでお許しくださいませ…)

sakurai-kankou.jimdo.com

「秋山の 木(こ)の下隠(がく)り 行く水の 我こそ益(ま)さめ 思ほすよりは」

鎌足と結婚する前に、天智天皇とやりとりしたときの歌と云われています。

しみ入るように静かな秋の山の木の下に見えかくれして流れてゆく水の水かさが増す

ように、わたくしの方こそいっそう深くお思いしている…という意味だそうです。

犬養孝さん「万葉の旅(上)」(平凡社ライブラリー)32頁より)

:

何とか忍坂の集落まで戻ってきました。

さすがに集落の中までは蚊は追いかけてきませんでした…はぁ、やっといなくなった😊

ずっと走っていたので、めちゃめちゃ汗をかいてしまいました。

(だからなおのこと、蚊が追いかけてきたのでしょうね…やれやれ)

最後に集落の北にある忍坂坐生根(おしさかにいますいくね)神社を訪ねました。

忍坂集落の氏神様だそうです。

なかなかいい運動にもなりましたが、舒明天皇陵、鏡女王墓…素敵な雰囲気でした。

蚊がいなければ、もっとのんびりできたのに…今度は奥まで行ってみたいなぁ~♪

忍坂集落界隈の全体図を…この後、北へと向かいました

忍坂集落の北にある外鎌山(忍坂山)に登ると絶景が見られるようですね。蚊のいない時期に登ってみたいなぁ~

次に向かったのは大和朝倉駅

駅から東へ歩くと、雄略天皇の泊瀬(はせ)朝倉宮伝承地と呼ばれる場所があります。

以前、大和路をテーマに活躍された写真家、田中真知郎さんの写真集「万葉の大和路」

を見たことがあるのですが(その名のとおり、万葉の故地を撮られたものでした)、

この泊瀬朝倉宮伝承地からの写真が見事で一度同じ場所に立ってみたいと思っていた

のでした😊

真夏の炎天下、忍坂から朝倉の東まで、1時間近く歩いたような気がします。

(汗がダラダラ、頭もクラクラしていたかもしれませんね…ホホホ)

延々歩いて…ついに着きました!この場所です。

田中真知郎さんの写真と同じアングルで撮ってみました。

桜井市街をズームアップ!遠くに葛城山金剛山が見えました。

奈良の山はどうして青く見えるのでしょう…青垣山とはよく言われたもので…。

「大和は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 大和し美(うるわ)し」

(倭建命さんの歌を思い出しました😊😊)

ダダン、ダダン…と音を立てて、近鉄特急が駆け抜けていきました。

奥に見えるは忍坂の山々ですね。

棚田がとてもきれいでした…夏ですね!

この道を登って来たのでした。むちゃくちゃ暑かったです…。

さぁ、そろそろ行きますか。

来た道を…大和朝倉駅に戻ります。三輪山の麓…はい、三輪そうめんで有名ですね!

柿の葉寿司のお店もありました。お店は冷房が効いていて気持ち良かったです。

冷たいお茶を出してくれました…何杯もお代わりしてしまった😊

大和朝倉駅へ戻る途中、白山神社に寄りました。

第21代雄略天皇泊瀬朝倉宮については場所が特定されておらず、何か所か伝承地と

呼ばれる場所があります。この白山神社もその伝承地のひとつです。

とても暑かったですが、良い眺めを楽しむことができて良かったです。

(さすがに足がしんどくなってきました…頑張って駅まで行こうっ!)

大和朝倉駅に到着!遠く、今歩いてきた丘の方を眺めておりました

万葉集雄略天皇泊瀬朝倉宮で詠んだ長歌から始まります。

「籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます児 家告らせ

 名告らせ そらみつ 大和の国は 押しなべて 我れこそ居れ しきなべて

 我れこそいませ 我れこそば 告らめ 家をも名をも」

丘の上で籠を持って若菜を摘む乙女に雄略天皇が「あなたの名前を教えて」と求婚する

恋の歌ともいわれています。

雄略天皇が詠まれた歌といわれていますが、本当のところはわかっていません。

ただ、丘の上に立って、遠くを眺めていると、そんな楽しげな情景が頭の中に

浮かんできて、微笑ましく感じました。

談山神社入口にある「屋形橋」。今でも渡れます

次に向かったのは、藤原鎌足公所縁の談山(たんざん)神社。

大和朝倉駅から1駅隣りの桜井駅まで移動、駅からバスで神社に向かいました。

案内看板がありました。藤原鎌足公を祀る神社さんであります。

中大兄皇子中臣鎌子藤原鎌足公の以前の名です)が藤の花の盛りの頃に、

神社本殿の裏山で極秘の談合をしたとか。

談山神社はその”談”の名を由来としています。

大化の改新の謀を談じたことから、大化の改新発祥の地とも呼ばれています)

遠く、この地まで来て談合せざるを得ないほど、当時の蘇我家の力は大きかったの

でしょうね…。

バス停の先にある社務所から総社本殿を眺めて…

拝観料は大人600円、8時半から17時までが拝観時間です。

さぁ参りますか!

ご存じ、十三重塔。鎌足の長子、定慧和尚が父鎌足の供養のために建てたものです。

現在の塔は1532年に再建されたものですが、世界で唯一現存する木造の十三重塔

でもあります(国の重要文化財に指定されています)。

本殿の朱塗りは美しいです。きざはしに座って、少し休憩しました。

(今日はたくさん歩いていますから…♪)

本殿からの眺め。緑が美しいです。正面に見えるのは多武峰ホテル。

本殿には中庭がありました。厳かな雰囲気…歴史を感じます。

再び十三重塔を…創建時の十三重塔も見てみたいなぁ~とも思いました

この後、裏の御破裂山に登るつもりでしたが、急に雨が降ってきました。

バケツをひっくり返したような雨、まるでスコールのようでした。

さすが夏ですね。(雷が凄くて、怖かった…)

お茶屋さんでしばらく待ったのですが、雨が止んだとしても、

これは登山道がぬかるんでいてダメだな…と。

予定変更!早めに次の目的地、奥明日香へ向かうことにしました。

お茶屋のおばさまに「飛鳥へ行きたいので、タクシーを呼んでもらえませんか」

とお願いしました。

談山神社から明日香に抜けるバスはないもので…ワープであります♪

(おばさま、お茶と美味しいお団子ありがとうー😊)

こちら、談山神社のHPです。神社由来から始まり、詳しく説明しています。

⇒よろしければご覧ください♪ 桜と紅葉の時期も素敵でしょうね…

www.tanzan.or.jp

談山神社を後にして、次に向かったのは明日香村。

その明日香村の中でも更に南の「奥明日香」と呼ばれる稲渕、栢森(かやのもり)

へ向かいました。

(以前飛鳥界隈を訪ねたことはあるのですが、明日香村の奥までは行ったことが

 なかったもので…)

昔は談山神社から明日香村へ抜ける道はなかったのですが、今は道路ができて、

移動が楽になりました(便利になりましたねー)。

棚田が続き、絶景が続くビューポイントとしても知られています。

⇒感動してずっと眺めていたので…写真を撮るのを忘れてしまいました!!

バス停の前には栢森集落の案内看板がありました

石舞台古墳の手前で道を左折し、吉野へ抜ける県道(桜井明日香吉野線)をしばらく

進むと、栢森の集落に到着しました。

栢森のバス停前でタクシーを止めてもらいました。

「せっかくここまで来たので、のんびりなさってください…」

と、タクシーの運転手のおじさん。

(明日香村の一番奥にある集落なので、タクシーで行く人もあまりいないと話して

 いました。道中、いろいろ楽しいお話もありがとうございました!)

栢森集落を少し歩いてみましょう。ちょうど雨も上がって、静まり返っておりました。

聴こえるのは川のせせらぎの音だけでした。雷雨の後でしたので、川の水はまだ濁って

いました。

飛鳥川も源流に近づくと、川幅が狭くなります。水がザァァーと勢いよく流れて

おりました。

せせらぎがきれいな場所もありました…普段はもっと澄んでいるのでしょう。

田んぼだ!イノシシやサルがいっぱいいそうですね♪

集落は昔のまま…道も狭いですね。

集落の奥に、加夜奈留美命(かやなるみのみこと)神社がありました。

素敵な音の響きを持つ神社さんですね♪

(水の神を祀る神社さんでもあります)

陽が差してきました…。地元の方々に大切にされている神社さんです。

「おじゃまいたします…今日はありがとうございます」と感謝を申し上げました。

栢森の名前の由来に当たるのでしょうか…出雲系の神社さんとお聞きしました。

日差しが戻ってきました。急に暑くなってきました。

さぁ、そろそろ行きますか。本当は栢森から吉野へ抜ける道も走破してみたいのですが

流石に歩いていくのはしんどいのでまたの機会に♪

(昔の古道、芋峠にも行ってみたいです…かつて持統天皇が吉野へ巡幸された際に

 通った古道とも云われています)

晴れてきましたので、飛鳥川沿いをゆっくり歩いていきましょう!

奥明日香では今も綱掛神事が行われています。

子孫繁栄、五穀豊穣を祈るとともに、飛鳥川に綱を掛けることによって、川や道から

悪疫などが通って集落へ侵入するのを防ぐ…そのような思いが込められているそうです

神事は毎年1月11日に行われており、上流の栢森集落では女性を象った女綱が、

下流の稲渕集落では男性を象った男綱が掛けられます。

(綱は毎年掛けなおしているそうです。栢森は仏式、稲渕では神式で執り行われて

 いるとか…バランスを大切にするこの国らしいなぁ~と思いました)

こちらが栢森の女綱です。かつてはこのような光景が日本各地の至る所で見られたそう

ですが、今やあまり見られなくなりました。

下流の方から一枚パシャリ♪ のどかな風景でした。

また入道雲がもくもく湧いてきました。もう一雨きそうです。少し速足で歩こうかな。

しばらく行くと、宇須多岐比賣命(うすたきひめのみこと)神社さんの入口に来ました

今日は歩いて歩いて歩いて…既に足が棒のようになっておりました…。

ずっと上へと続く階段を見て、さすがに「無理!足が絶対攣るっ!」と思いました。

(すみません…今回は入口でお参りさせてください!!)

⇒正式名称は「飛鳥川上坐宇須多岐比賣命(あすかのかわかみにますうすたきひめの

 みこと)神社」…日本一長い名前を持つ神社さんだとか♪

 加夜奈留美命神社と同じく、水の神を祀る神社さんです。飛鳥川沿いにある所以

 なのかもしれませんね…。

しばらく歩くと、稲渕集落に入りました。

こちらにあるのが…

飛鳥川を渡る飛び石です。万葉の頃からあったそうですよー。

万葉の頃、川を挟んで男女が声を掛け合ったこともあるのかな?

万葉集でもこの飛び石は

「明日香川 明日も渡らむ 石橋の 遠き心は 思ほえぬかも」

と(恋歌が)詠まれています。

先程の雷雨で飛鳥川は増水していたので、渡ることは止めました。

(渡ってみたかったですが、靴がビジョビジョになりそうでしたので…テヘヘ♪)

更に進むと、稲渕の男綱が見えてきました。

あっ、確かに「男綱」ですね😊😊

下流が男綱、上流が女綱。

古来より女性は大事にされてきた…ということかしら?

そんなことも想いました。

(毎年綱を掛けるのは大変な作業でしょうね…伝統を次代へ伝えていくのは

 ご苦労も多いことと思います)

こんな看板を発見!ホタル、きれいでしょうねー。

ワタクシの故郷、富山県でも子供の頃はホタルがいっぱいいました。

(田んぼに農薬を撒くようになってから、いなくなってしまいました…涙)

男綱から少し歩くと、稲渕の棚田が見えてきました。

秋の収穫時には写真を撮りに来られる方が多い人気のスポットです。

(棚田は英語では、テラス・ライス・フィールドと訳すのですね…素敵な響きです♪)

夏の棚田は青々として綺麗でした。風もさぁーと吹いていて気持ち良かったです。

更に進みます。こんな看板を見かけました。

もうちょっとで石舞台です。

足がパンパン!少し引きずりながら歩いているような感じです(あははー!)。

奥明日香方面を振り返って…あの奥から歩いてきたのですよね~。

今日はありがとうございました。

入道雲がどんどん迫ってきていました…これは絶対降るっ!!!)

何とか歩いて、明日香村の中心街に到着しました。

ちょうどその時、大粒の雨が降ってきました。

わぁっ!館に入ろう!!

ワタクシの敬愛する万葉学者、犬養孝さんを記念して建てられた施設です。

万葉集に関連する展示が多数あります。入場料は無料です。

前々から訪ねたかった場所でした。

(やっと来れました!)

きれいな建物でした。カフェも併設されています。

(しばらく雨宿りをしておりました…)

 

犬養孝さんは明治40年生まれ。

知る人ぞ知る、万葉集研究の第一人者です。

ウィキペディアの紹介をお借りしますと…)

・・・ここから・・・

万葉集に登場する万葉故地をすべて訪れ、万葉集研究に生涯をささげ「万葉風土学」を

確立。また、テレビ・ラジオ番組や公演などで多数の人に万葉集をひろめた。万葉歌に

旋律をつけて朗唱する「犬養節」は独自の歌い方で、おおくの万葉ファンに親しまれた

万葉の景観をまもるため、万葉故地が乱開発される現状に抗議し、国会議員や松下幸之

助などの財界人にも万葉故地の重要性を訴え続けた。その一環として、日本全国の万葉

故地に所縁の万葉歌を揮毫した「万葉歌碑」を建立、故地をまもる活動に奔走した。

定例の万葉ハイキングや月見の会をかさね、明日香古都保存に尽力し、明日香村名誉村

民となる。

明日香村の「犬養万葉記念館」

1979年(昭和54年)に昭和天皇が明日香に行幸し、甘樫丘にて明日香の歴史的風土を視

察したときの案内役をつとめる。1951年(昭和26年)に始まった「大阪大学万葉旅行」

は45年間の参加者延べ4万人をこえた。2000年には奈良県明日香村に犬養を顕彰し関係

資料を展示する「犬養万葉記念館」が完成した。

犬養揮毫の万葉歌碑は131基におよぶ。

・・・ここまで・・・

平成10年に亡くなられましたが、こちらの「万葉の旅(平凡社ライブラリー。上中下

の3巻)」は、犬養さんが全国の故地を訪ねた際の記録と歌の解説をまとめた本となっ

ております。

見開き2頁で写真(貴重な訪問当時の写真)と歌の解説。

各地を観光している気分にもなれます。

一度絶版となったのですが、読者からの要望に応えて平凡社さんから復刻となったもの

でもあります。

(今回の旅でもワタクシ、こちらの本を持参してページをめくりながら故地を眺めて

 おりました…あぁ、ちょっとしたロマンチストですなぁ~フフフ)

万葉集にご興味がございましたら…図書館にもありますのでいかがでしょう。

犬養万葉記念館さんのHPもありました。よろしければこちらもどうぞ~♪♪

inukai.nara.jp

本日のお宿は大和八木駅近くのホテルです。

チェックインするには少し時間がありましたので、もうちょっと散策することに

しました。

明日香村からバスで桜井へ出て、八木乗換で畝傍御陵前駅へ。

目指すは神武天皇陵です。

駅を降りると正面に畝傍山が見えてきました。

(天香具山、耳成山とともに、大和三山の一角を成すお山さんですね!)

駅から歩いてしばらくすると御陵の入口に到着しました。

こちらも雨が降っていたようですね。

参道を進んでいきます。厳かな雰囲気が伝わってきます。

見えてきましたよ♪(参道入口から結構歩きました…)

神武天皇陵です。初代天皇を祀る御陵が現存すること自体が凄いことだと思います。

(本当はもっとのんびりしたかったのですが、ここにも大量の蚊が!!

 我慢できず退散であります…雨も降ったからなぁ~ウワンウワン煩いです!)

最後に訪ねたのは橿原神宮さん。

今日はずっと歩いてばかりですね。もう足が棒のようになっています。

橿原神宮にはこれまで一度も訪ねたことがなかったのです。

頑張って最後にもうひと踏ん張り!何とかやってまいりました…。

(大阪で仕事をしていた時から訪ねたいなぁ~と思っていたですが、当時は遠い所から

 攻めていたので(!)、東京に戻ってから訪ねることとなりました…😊😊)

神武天皇陵からそのまま歩いて橿原神宮さんへ。北の鳥居から中に入りました。

本殿の入口、外拝殿をパシャリ♪ とても大きな建物です。

中に入って、本殿の方をパシャリ!正月などは凄い人混みなのでしょうね…。

ズームアップ!立派な建物ですね…神武天皇とその皇后が御祭神となっております。

当時はインバウンドが賑やかだった頃…外国人観光客の姿もちらほら~

駅へ向かう参道です。

夕刻になりました…そろそろホテルへ向かいますか。

早朝に出発し、長い一日となりましたが、万葉集の故地を中心にいろんなところを

訪ねることができて良かったです。

歴史と自然に触れ合う楽しい旅となりました。

(足はかちんこちんになりましたが…旅はやっぱりいいですねー。またのんびり旅に行ける世の中になるといいなあ~と願っております😊😊)

・・・ここまで・・・

今回は大変ボリュームのある紹介となりました。

最後までご覧いただき、本当にありがとうございます。

重ねてお礼申し上げます。

ところで大和八木に泊まった次の日は…?

はい、この旅、まだ続きがあります。

翌朝は藤原京跡を訪ね、その後吉野、紀ノ川沿いの万葉集の故地を訪ねました。

(その旅のお話はまたの機会に…ご紹介したいと思います♪♪)

 

今日は大和国万葉集の故地を訪ねた思い出をご紹介した一日となりました。

 

ではでは!

最後までご覧いただいてありがとうございます! お礼申し上げます!!  

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